※本稿はFacebookに投稿したものを修正した記事です

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『靖国神社が消える日』
本書を読んで非常に衝撃を受けました。
著者は、今年の6月まで靖国神社で禰宜を務められていた宮澤佳廣氏です。
一部メディアでは、“靖国神社の内部告発”と称されている本書ですが、私自身の読後感は「暴露本に近い」というものでした。

何がどう暴露されているか、詳しくは実際に本書を手にとっていただくとして、ここでは、靖国崇敬者にとって重要だと思われる宮澤氏の指摘を二点ほど抜粋してご紹介します。

一つ目は、靖国神社の現宮司である徳川宮司が、厳粛な祈りの場を確保するという名目で、「参拝せず外苑で飲み食いして帰る若者」を排除するために、ほぼ独断でみたままつり等から露店を締め出したこと

二つ目は、徳川宮司が亀井静香氏等の要請を受ける形で、“旧逆賊”の合祀に傾きつつあること

まず一つ目については、かつて靖国神社参拝運動を2ch上で起こした者としては、残念でならないというのが率直な感想です。
徳川宮司の批判する「外苑で酒を飲んで騒ぐ若者」が酒を飲む前に靖国の社頭で手を合わせていないとは限りませんし、また別の日に参拝に来ているかも知れない。
みたままつりを楽しむ若年層と参拝者層は完全に分離しているのではなく、ある程度重なって存在しているのです。
事実、宮澤氏によれば、露店の締め出し後、社頭参拝者は約6割減、昇殿参拝者、遊就館拝観者ともに約3割減という数字が出ているそうです。
つまり、結果的に排除したのは、特定少数の不心得者や犯罪者などではなくて、不特定多数の一般人だったということになります。

私は、今から十数年前の人のいない寂れた靖国神社を知っています。
都心の一等地にある、あれだけ広大な土地の、立派なお社に人が来ないのです。
平日はもとより、週末も祭日も、みたままつりの時でさえ近年ほどの賑わいはなく、「どうしてこんなアクセスのいい、イベントが盛りだくさんの楽しいお祭りにこれしか人が来ないんだろう?」と思っていました。
境内でたまたま行き合った戦友やご遺族に、「靖国に来てくれてありがとう」「若い人が来てくれてうれしいよ」と声をかけられる時代です。

今はどうでしょう?
いつ行っても人がいます。
当たり前のように、家族連れやカップル、若い子のグループと遭遇します。
かつて、戦友やご遺族が願ってやまなかった「死にゆく自分達の代わりに若い人が靖国を支える時代」が到来しつつあるのです。

戦争体験者の多くが他界された今、一般の人々の姿が再び境内から消え、閑散とした神社に戻るようなことがあれば、靖国はいともたやすく存続の危機に陥ってしまうのではないかと私は危惧しています。
そうしたリスクを承知の上で、徳川宮司の目指すとされる「静かな雰囲気で秩序ある参拝ができる空間」を求めるのか、少なくとも、崇敬者は旗幟を鮮明にすべきだと思います。
私は、一般の来場者を減らす排他的な方針には明確に反対します。

二点目については、全く理解に苦しみます。
旧逆賊の合祀は、日光東照宮に行き「時代も変わったことだし、豊臣の名誉を回復するためにも、秀頼公と淀君を一緒に祀って下さい」と言い出すようなものだと思うからです。
言うまでもなく、東照宮は家康公を祀るための神社です。
何も、秀頼公の名誉は東照宮に祀らなければ回復しないわけではありませんし、第一、彼の汚名はとうに雪がれているはずです。
旧賊軍についても同じことが言えます。
本書では「創建の理念」と表現されていますが、靖国(旧東京招魂社)が建てられた当初の目的は、幕末の動乱期に命を落とした勤皇の志士達を慰霊顕彰することでした。
つまり、靖国はそもそも、天皇の命を受け近代国家再編のために戦い亡くなった人々を祀るための神社だったのです。
この「朝命を受けた」というのが最大のポイントです。
旧逆賊の中には、尊皇の念の篤い人もいましたし、国のためを思って行動した人もたくさんいましたが、形として朝廷に弓を引いた以上、靖国の御祭神にはなり得ないのです。

そうした経緯があるにも関わらず、「国民融和のため」「寛容の精神の発露」と称して敵方を合祀することになれば、靖国神社の意義はもとより、明治維新の意義さえも見えなくなってしまうでしょう。
また、この合祀を認めれば、「日清、日露、大東亜戦争等の対外戦争の旧敵も祀るべき」という話にもいずれ発展しかねません。

本書130ページには、この件に関する亀井氏と徳川宮司のやりとりが載せられています。

—引用開始—
  この問題は、その後、複数の雑誌で取り上げられました。
『サンデー毎日』(平成28年11月13日号)によると、平成26年の夏、靖国神社に参拝した亀井氏が徳川宮司に「賊軍が祀られていないのはおかしい」と話しかけたところ、宮司は「私もそう思う」と答え、我が意を得た亀井氏は「あなたが決めたらできる」と促したといいます。
  また、亀井氏は、徳川宮司のこの発言を受け、「それで私は『宗教法人は政府なんか関係ないんだから、ちゃんとした御祭神をお祀りしたら良いと思いますよ』と言いました」(『経済界』平成26年9月9日号)とも語っているのです。
  つまり、亀井氏は「宗教法人なのだから、国とは関係がなく、宮司の判断だけで合祀できますよ」と、靖国神社の「宗教法人性」を強調して、徳川宮司の背中を押したということになります。
  平成29年は大政奉還から150年、翌30年は明治維新150年という節目の年にあたります。政府も明治維新100年を前例に記念事業の検討を始めるでしょうから、政治的な話題性も十分にあります。
たとえ「賊軍」合祀が実現しなくても、亀井氏には何のデメリットもありません。
実は亀井氏は、平成28年6月29日にも徳川宮司に面会を求めています。そして、「合祀基準から難しい」という宮司に対し、「私が国民運動を起こしますよ」と伝えたのだといいます。
—引用終了—

要するに、始めに徳川宮司と亀井氏の間で旧逆賊を合祀した方がいいとの意見の一致があり、実行を躊躇う宮司に対して、亀井氏が再三に渡って、「あなた一人の権限でできる」「国民運動で後押しする」と焚きつけたということです。
仮に、合祀に向けて両者の間に密約めいた合意があったとするならば、宮澤氏が指摘するように、内部から靖国が崩壊しかねない極めて由々しき事態です。
靖国は現在は一宗教法人の立場にありますが、元は国のために亡くなった戦没者をお祀りする公共の施設です。
一宮司や一政治家が靖国の理念をねじ曲げたり、御祭神の適否を勝手に判断したりしていいわけがありません。

私は、一点目の問題と同様に、これについても崇敬者側が声を上げるべきだと思います。
崇敬者の中には、仕事上の、あるいは個人的なしがらみがあり、神社側にものを申しにくい人もいるでしょうが、このままでは本書が警告する通り、靖国が靖国でなくなり、消滅する日がやって来ないとも限らないのです。