埼玉県勢が高校選手権で低迷している。近年言われ続けていることである。埼玉県人の私としてはかなり重要な問題なのだ。しかし県自体のレベルが下がっている、とは違うのではないか?そんな疑問を抱いた私は個人的に調べてみたのだが・・・確かに高校選手権で決勝まで進んだのは1989年68回大会、優勝にいたっては1981年60回大会の武南高校まで遡らなければならない。インターハイにしてもベスト4以内に入ったのは95年の西部台の準優勝が最後になる。この資料からすると一高校レベルでは衰退しているといえるだろう。では県レベルではどうか?
県選抜で戦う国体では高校選手権で最後に優勝した1981年以降ベスト4に入った回数は去年までに8回、しかも優勝は2回と結果を残している。では県自体のレベルが下がっていないのに一高校単位ではなぜ勝てていないのか?
そこで埼玉サッカーの歴史を調べることで何か情報をつかめるのではないか。
埼玉サッカーの夜明けは明治41年までさかのぼる。東京高等師範学校を卒業した細木四郎氏が埼玉師範学校に講師として着任したところから始まりまる
神戸生まれの細木氏は外国人がやっていたサッカー、また当時東京高師でやっていた本物のサッカーを埼玉師範の学生たちに教え始めた。以後浦和中学でも講演しサッカーの種を蒔く。その後、細木氏の教え子たちが県内の学校に先生として配属されサッカーを普及させていくことになる。
そして昭和十二年埼玉師範は全国中等学校蹴球大会(現在の高校選手権)で初の全国制覇を成し遂げる。これは埼玉だけでなく東日本勢としても初めての快挙だった。
その後戦争で一時中断されるものの終戦後学制改革により学校の編成が一新されるが伝統は埼玉大学、新制浦和高校、浦和西高校などに受け継がれた。
その後、埼玉師範優勝メンバーの一人である池田久氏浦和市立白幡中学校に赴任し強豪チームを作り上げる。そして、白幡中を中心に浦和から始まり埼玉各地の中学でサッカーは目覚しい発展を遂げるのである。そこから高校に進学した生徒たちが浦和、浦和にし、浦和市立、児玉、浦和南、武南といった全国制覇をする高校が続出する黄金時代を作り上げるのである。
これまで調べたことで埼玉がなぜ強くなったのかといった理由が見えてきた。しかしこの黄金時代もすでに遠い過去の話である。なぜ強さを維持できなかったのか?
歴史を調べた上でひとつの仮説を立ててみた。
急速にサッカーが普及した反面強豪校が増えて戦力が分散したのではないか?
だとすれば県レベルは落ちていないのに高校単位では勝てないのもありえる話ではないか?
私はさらに事情を詳しく知りたくなりある人物に話を聞いてきた。
埼玉県社会人サッカー連盟副理事長、浦和南高校OBである天沼達也氏の談話である。
「選手の分散化、さらに流出といった問題があるのは事実。分散化はうまくなれる補償のあるチームがない。流出は他見の強豪に流れていく。」
しかし低迷問題に関してはこう話してくれた。
「県としてのこだわりを持つ必要はない。いい環境を作っているチームがいいサッカーをしている。サッカーが生活の一部となっている現在、ひとつの地域が強い、弱い地位右派なしがナンセンス。今の時代でも御三家といった形で呼ぶべきか?全国のレベルアップとともに切磋琢磨しなくては・・・」
天沼氏の話を聞いた上で導き出した私なりの結論としては仮説どうり選手の分散がありさらに流出といった問題もある。しかし埼玉の弱体というよりは他県にもサッカーが普及し全国のレベルが上がったことによりどの県にも優勝のチャンスがある時代になったのではないか?それでも埼玉が優秀な選手を全国に送り出しているのも事実である。J1J2都道府県別出身選手で埼玉は三位である。
環境しだいでいい成績は収められるが地域の問題はナンセンスである。
今埼玉では小学、中学レベルでの健闘が目立っている。だからといって高校に進学し勝てるかといえばそれは環境次第であるというのが今の埼玉の現実である。
また天沼氏はこうも言っていた。
「埼玉の高校サッカーは低迷している。育成自体にも問題がある。埼玉のサッカーの伝統はスピードとテクニック。しかしいまの選考基準はフィジカル。」
この育成の問題は埼玉だけではなく日本全体の問題でもあると感じる。育成方法の変化によりサッカーの質自体が変わってしまったのではないか?埼玉を調べていくうちにサッカー界のいろいろな問題が垣間見えた気がする。