Por la Razon o la Fuerza


ついに手に入れましたよ、1・4新日本プロレスの招待券叫び


バカ売れしてるみたいで、あっちこっちに根回ししてやっとゲットしたチケット…



職権乱用とか言わないで音譜


兄弟3人、新年早々男たちの裸体を拝みに行ってきます(笑)


もちろん俺たちの目当てはメキシコのスーペルエストレージャ、ミスティコ!!


ルチャリブレ大好きブラザーズにとっては、絶対に見逃せないチョキ


ちなみにミスティコは俺と同い年&同身長なので、ものすごく勝手に親近感を抱いています。


Dynamite!!終わったらミスティコ観て、8日からバリ島…素敵な新年になりそうだOK


=Viva la Raza=




スペイン語技能検定を受けることにした!!

って言っておかないとやらないだろうから、ここで自分に宣言しとく(笑)

せっかくスペイン語のベースがあるのだから、なにか資格を取得しておかないと損だもんな。

新聞の内容が理解できて、ガイドが不要なら3級らしい。

この辺りから狙いたいが、まずは様子見で4級でも受けてみようか。

ちなみに4級は一般会話と文法がOKなら合格するらしい…。

なんとなく余裕の予感チョキ

でも、俺のはバリオ(スラム)のスペイン語なので、駅前留学で教える丁寧なスペイン語とは明らかな違いが…(笑)

その修正も兼ねて、徐々にスキルアップしていくつもり。

目指せ、合格率5%の1級アップ



あ”~、南米行きて~!!

ふと思い立ち、学生時代に使っていたブログを復活させてみたべーっだ!

だからどーしたって感じだけど、これで少しは日記を書くモチベになるだろう…か。

学生時代に課題でやった原稿が載ってるけど、あまり気にしないように(笑)。

いきなり、この前撮ったウルティモ・ドラゴンとの写真をアップしてみるアップ

みんな、知ってる?


Por la Razon o la Fuerza-ウルティモと俺



 家族愛とはなんだろうか?
自分の肉親に対して愛を持つ。
誰もが心の奥に秘めているはずだが、言葉にして相手に伝える行為はなかなかどうして恥ずかしい。
私もそんな一人である。

しかし、我が家には本当は愛してやまない人物が2名ほどいる。
弟たちである。

私が長男であり(頼りないらしいが・・・)下に同じ遺伝子を持つ生命体が2名いる。
次男は、1つ下でとんでもない問題児である。
昔から色々と迷惑をこうむってきた。
正直、うんざりしたことは数限りない。
しかし、生まれてこの方離れたことがない。
常に一緒に生活をともにしてきた。
弟というよりも、無二の親友に近い。
私が何でも話せる数少ない人物だ。

三男は12歳離れた、自分の子供のようなやつである。
かなりのお兄ちゃん子で私にべったりである。
私が日本にいるときにチリで生まれたので、誕生当時は一緒にいれなかった。
その分甘やかしてしまったのか、最近わがままな面が多く見られるようになってしまった。
頭が痛い。

この三兄弟はとにかく仲が良い。
連れ立って出かけることも多く、喧嘩も滅多にしない。
友人には羨ましがられる反面、奇妙とも言われる。
三人とも全く違った個性をもっているからだ。
しかし、私は生まれ変わってもこいつらと兄弟として生きたいと願っている。
どんなに迷惑をかけられようとも、この2人は私の人生というステージから降ろせない役者なのだ。

結局、伝えられないから2人にはわかることはないだろう。
それでいい。
この思いを胸に秘めたまま同じステージに兄として立ちつづけるのが私の使命であり、本望なのだから。
いつか伝えるときがくることを願いつつ・・・

皆さん 家族っていいものですよ。


チリでは、2年に一度大規模なフェスティバルが行われる。
南部にあるVINA DEL MAR (ビーニャ・デル・マール)というリゾート地で、南米各国からゲストを招いて開催される。(世界デビューする前のリッキー・マーティンも普通に1ゲストとして参加していた)

 そこでは、音楽あり、ダンスあり、笑いありとまさに祭典なのである。
私は96年のフェスティバルを、現地でテレビを通して楽しませてもらった。
そこで日本では考えられないことが起こったのである。
今でも、そのときの記憶は鮮明に残っている。

 芸人がコントを繰り広げるステージでのことだった。
2人組のお笑いコンビ(名前は忘れてしまった)が壇上でパフォーマンスを行っていた。
南米でのコントはジョークがメインで、裏に隠された真相を笑うものだ。
まだ片言のスペイン語しか話せなかった私は、必死に裏を考えながらこの二人組みのコメディアンのステージに魅入っていた。

 このコントがスンゲー面白いのだ。
何とか理解して、腹を抱えて笑い転げた。
尋常ではない、センスのよいコントだった。

ところが舞台の途中で司会者が乱入。
一旦劇が中止される。
どうしたのだろうと画面を見ていると、司会者が不意にマイクを持って何かを話し出した。
内容は、現在の視聴率が50%を越えたということだった。
50%!?
日本では、24時間テレビですらありえない数字をたたき出している。
2人のコメディアンは抱き合って喜んでいる。
片方はなんと、泣いているではないか。
突然の出来事にこっちがびっくりである。
しかも、最終的には70%を超えたのだ。
視聴率70%なんて想像できますか?

途中で司会者乱入にも驚いたが、視聴率には度肝を抜かれた。
チリ全土の家庭のほとんどが同じ番組を見ているのだ。
想像したらちょっと笑えた。
同時になんだか心が暖かくもなってきた。
こんな不思議な一体感は日本では体験できないだろう。
そんなことを考えながら、時代の寵児となった2人組に感謝の念を抱いていた。
御多分に漏れず、我が家もそのとき一体となっていたからだ。
それまでは、ブラックジョークによい印象を抱いていなかった私だったが、これもこれで悪くないな、と思ったお祭り騒ぎの夜だった。



今までの話が全て、堅いものばかりだったので、ここで趣向を変えて私の体験談を少し紹介させてもらおう。

 私は、幼い頃家庭の事情で、南米のチリに4年程住んでいた。
父親がチリの出身ということもあり、家族全員で生活しており、もちろん私は現地の学校に放り込まれた。
言葉が通じない中、必死に何かみんなとの共通の話題を探す毎日だった。
しかし、意外とすんなり見つかるもんだ・・・なぜなら南米の人々の最大の娯楽は、サッカー、ダンス、お酒なのだから。

 サッカーなら言葉は要らない。
あっという間に友達がわんさかできた。守備をしたがらないチリ人の中で、唯一ディフェンス意識のある私が重宝されたとの見方もあるが・・・


 チリにはちゃんとしたゴールマウスが設置された公園はほとんどない。
ないのだが、公園では常にサッカーが行われている。
いわゆるストリートサッカーである。
現地では PICHANGA(ピチャンガ)と呼ばれる、時間制限無し、年齢制限無し、メンバー人数制限無し、ポジションやりたいとこやれのバーリトゥードサッカーである。
ゴールは、ジュースの空き缶を申し訳程度に二本立てただけ。
このゲームを、どこでもやっている。
たとえ公園ではなくても、路地裏だろうが、車道だろうが・・・いい迷惑である。
しかし、サッカーをしているときは皆、とんでもなくイキイキした顔をする。
こっちはバテバテで帰りたいのに、目をキラキラさせながら「もっとやろうぜ」と言ってくる。
そんな顔見せられたら帰れない・・・輝いてる表情ってずるいよね。

 場所を選ばないから、基本的にどこにでも相手は存在する。
私もよく友人と、ボールを持って相手を探しにいったものである。 
ボールを見つけるとハイエナのようにどこからともなくよってくる。
こちらから声をかける前に、周りには「ピチャンガしようぜ、チャイニーズ」と挑発してくる連中でいっぱいだ。(南米ではオリエンタルな顔つきは全部中国人・・・悪意は無いらしい)
しかもしつこいくらいに・・・暇人ばっかりだ。
ところが、いざ試合が終わって帰る頃にはお互いファーストネームで呼び合い、抱き合って別れの挨拶をする。試合を終えてお互いを讃えている時は、無二の親友のような錯覚に陥る。
私はこれを、ストリートサッカーの持つ一番の魅力だと考えている。


 サッカーが日常に入り込んでいる南米の文化。
彼らにとってサッカーをすることは、日本人が米を食うのと一緒なのだろう。
マンネリだけれども、なくてはならないもの。
そのサッカーが人の輪を広げ、心に和をもたらす。
日本にもいずれストリートサッカーが文化として定着しないだろうか。
そうしたら私は、ボールを小脇に抱えて毎日ライバルを捜しに町に出よう。
なんだ・・・私もサッカー好きの暇人ではないか。



 埼玉県勢が高校選手権で低迷している。近年言われ続けていることである。埼玉県人の私としてはかなり重要な問題なのだ。しかし県自体のレベルが下がっている、とは違うのではないか?そんな疑問を抱いた私は個人的に調べてみたのだが・・・確かに高校選手権で決勝まで進んだのは1989年68回大会、優勝にいたっては1981年60回大会の武南高校まで遡らなければならない。インターハイにしてもベスト4以内に入ったのは95年の西部台の準優勝が最後になる。この資料からすると一高校レベルでは衰退しているといえるだろう。では県レベルではどうか?


 県選抜で戦う国体では高校選手権で最後に優勝した1981年以降ベスト4に入った回数は去年までに8回、しかも優勝は2回と結果を残している。では県自体のレベルが下がっていないのに一高校単位ではなぜ勝てていないのか?

そこで埼玉サッカーの歴史を調べることで何か情報をつかめるのではないか。



 埼玉サッカーの夜明けは明治41年までさかのぼる。東京高等師範学校を卒業した細木四郎氏が埼玉師範学校に講師として着任したところから始まりまる

神戸生まれの細木氏は外国人がやっていたサッカー、また当時東京高師でやっていた本物のサッカーを埼玉師範の学生たちに教え始めた。以後浦和中学でも講演しサッカーの種を蒔く。その後、細木氏の教え子たちが県内の学校に先生として配属されサッカーを普及させていくことになる。


 そして昭和十二年埼玉師範は全国中等学校蹴球大会(現在の高校選手権)で初の全国制覇を成し遂げる。これは埼玉だけでなく東日本勢としても初めての快挙だった。

その後戦争で一時中断されるものの終戦後学制改革により学校の編成が一新されるが伝統は埼玉大学、新制浦和高校、浦和西高校などに受け継がれた。


 その後、埼玉師範優勝メンバーの一人である池田久氏浦和市立白幡中学校に赴任し強豪チームを作り上げる。そして、白幡中を中心に浦和から始まり埼玉各地の中学でサッカーは目覚しい発展を遂げるのである。そこから高校に進学した生徒たちが浦和、浦和にし、浦和市立、児玉、浦和南、武南といった全国制覇をする高校が続出する黄金時代を作り上げるのである。


 これまで調べたことで埼玉がなぜ強くなったのかといった理由が見えてきた。しかしこの黄金時代もすでに遠い過去の話である。なぜ強さを維持できなかったのか?

歴史を調べた上でひとつの仮説を立ててみた。

急速にサッカーが普及した反面強豪校が増えて戦力が分散したのではないか?

だとすれば県レベルは落ちていないのに高校単位では勝てないのもありえる話ではないか?


 私はさらに事情を詳しく知りたくなりある人物に話を聞いてきた。

 埼玉県社会人サッカー連盟副理事長、浦和南高校OBである天沼達也氏の談話である。


 「選手の分散化、さらに流出といった問題があるのは事実。分散化はうまくなれる補償のあるチームがない。流出は他見の強豪に流れていく。」


しかし低迷問題に関してはこう話してくれた。


 「県としてのこだわりを持つ必要はない。いい環境を作っているチームがいいサッカーをしている。サッカーが生活の一部となっている現在、ひとつの地域が強い、弱い地位右派なしがナンセンス。今の時代でも御三家といった形で呼ぶべきか?全国のレベルアップとともに切磋琢磨しなくては・・・」


 天沼氏の話を聞いた上で導き出した私なりの結論としては仮説どうり選手の分散がありさらに流出といった問題もある。しかし埼玉の弱体というよりは他県にもサッカーが普及し全国のレベルが上がったことによりどの県にも優勝のチャンスがある時代になったのではないか?それでも埼玉が優秀な選手を全国に送り出しているのも事実である。J1J2都道府県別出身選手で埼玉は三位である。


環境しだいでいい成績は収められるが地域の問題はナンセンスである。

今埼玉では小学、中学レベルでの健闘が目立っている。だからといって高校に進学し勝てるかといえばそれは環境次第であるというのが今の埼玉の現実である。

また天沼氏はこうも言っていた。

「埼玉の高校サッカーは低迷している。育成自体にも問題がある。埼玉のサッカーの伝統はスピードとテクニック。しかしいまの選考基準はフィジカル。」

  この育成の問題は埼玉だけではなく日本全体の問題でもあると感じる。育成方法の変化によりサッカーの質自体が変わってしまったのではないか?埼玉を調べていくうちにサッカー界のいろいろな問題が垣間見えた気がする。


  世界最高のサッカープレイヤーは誰だろうか?私は間違いなくアルゼンチンの英雄、マラドーナだと考えている。 彼のプレーを始めて見たのは94年アメリカワールドカップのときである。対戦国はギリシャだったはずだ。断定できないのはなぜか?アルゼンチン、いや・・・マラドーナのプレーしか目に入らなかったからだ。テレビの前で固まってしまっていたのを今でも覚えている。それほど彼のサッカーはセンセーショナルだった。                                    
  相手DFを簡単に置き去りにするスピード、優雅な身のこなし、素晴らしいボールコントロール等どれをとってもまさに最高のフットボールプレーヤーだった。しかしその試合で見たマラドーナは既にキャリアの晩年だったらしい。父から聞いた話によると全盛期のマラドーナは化け物だったとのことだ。 私はそれ以降事あるごとにマラドーナに関する資料を集めることになる。 古いビデオ等で彼のプレーを見るたびに画面の前で凍りついた。人間業ではなかったのだ。 私の中でひとつの確信が生まれた。マラドーナは神の領域に達している・・  彼はサッカーの神なのだと。私が知っている中でサッカー界の最高峰と呼ばれている選手たちもマラドーナの前では霞んでしまう。M・ファン・バステン、ペレ、プラティニ、クライフ等多くのスターがいるが神には敵わない。なぜなら彼らは人間だからである。 マラドーナがイタリアセリエAのナポリ在籍時、彼以外目立った選手のいなかったチームを二度も優勝に導いている。彼一人の力によってだ。  

 しかし、最高のプレーヤーは最高の人格者にはなりえなかった。現役時代からトラブルは絶えなかったが、引退後さらに拍車が架かる。ドラッグに手を染めたり、自宅に押しかけてきたマスコミに空気銃で発砲し怪我を負わせたり・・・ 今までの栄光がうそのように世間から見放されていった。

 だが最近彼は、ドラッグから立ち直るために努力をしている。ダイエットにも成功し世間を驚かせている。このままマラドーナが薬物を克服し自分の望む生き方をしてほしいと切に願う。彼ならきっとできるはずだ。あのゴッドハンドのように奇跡を起こすことが彼の使命なのだから・・・

 


 あなたはニューヨークヤンキースの松井の打った鋭い打球を素手で捕らなければいけない、と言われたらばどうするだろうか?または室伏浩二の投げたハンマーをキャッチしろといわれたら?大概の人は、自殺願望がなければ無理だろう。しかし、職業上これに近いことを義務づけられたとても可哀想な人間がいる。スペインのサッカーチーム、レアルマドリード、また世界最強のブラジル代表と対戦する相手チームのゴールキーパーである。

 相手チームのゴールキーパーを震え上がらせる男、それがロベルト・カルロス(32)だ。左サイドバックとあまり攻撃的とは言えないポジションで彼のプレイは異才を放っている。超攻撃的なのである。。チャンスと見れば前線まで一気に駆け上がりゴールを狙うシーンも珍しくない。だが彼を一目見た限りでは、それほどのプレーヤーとは思えない。人懐っこい笑顔とたった168センチの身長しかないロベルトは、スタジアムの中では子供と間違われてもおかしくないように見える。しかし、一度ピッチに立てば子供から悪魔に変身する。そう、彼の左足は、悪魔の左足と呼ばれているのだ。

 その悪魔の左足は、特にフリーキックで威力を発揮する。もっとも象徴的なのは、1997年6月3日に98年フランスワールドカップの前哨戦として行われたフランス対ブラジルとの一戦だろう。35メートルのフリーキックは、一度はゴールマウスを大きく外れたかのように見えたが信じられないスピードで曲がり落ち、ネットをゆすった。キーパーは一歩も動けなかった。後に物理学者がその軌道の解析に乗り出したといわれるとんでもないゴールだった。

 だが彼の武器はフリーキックだけではないのだ。一試合で何度も前線に顔を出すスタミナや、相手を置き去りにするスピード等あるが、なんと言っても怪我が少ないのが最大の特徴である。それはつまり、監督の立場からすれば計算できる選手となる。現に一年間、ほとんどフルに働いているシーズンが何度もある。

 クラブでも、代表でも数々の栄光に包まれてきたロベルトだが、手に入らない名誉が一つだけある。欧州年間最優秀選手に贈られるバロンドールだ。この賞は攻撃的なポジションの選手が選出される傾向が強く、ディフェンダーであるロベルトにはどうしても声がかからない。ディフェンダーがバロンドールを獲得したのは1996年が最後であり、過去38人の受賞者のうち、たった3人だけである。

 彼は世界最高のチームの常に中心にいた。ただ、個人タイトルだけが世界最恐のディフェンダーに唯一足りない勲章なのだ。悪魔の左足は世界最高のプレーヤーの地位をもつかみ取れるのだろうか?相手ゴールキーパーには悪いが、楽しみで仕方がない。