気づいたら、もう2月。
2026年、最初の1か月は本当に
さっさと過ぎていった。
相変わらず、子どもたちと
ばったばたの日々。
でも、それも相変わらず楽しい。
最近というか、ここ1年くらい
ずっと思っていることがある。
自分が考えていること、
感じていることの半分も、
たぶん伝わっていない。
言語化力を鍛えなきゃな、
と思う時もあれば、
「言葉って、結局思いを超えることは
ないんだから、
もう伝わらなくてもいいじゃないか」
とすら思う時もある。
伝えたい気持ちは、確かにある。
でも、伝える側にも権利があるわけで、
その人がそのように受け取ったのなら、
それもその人の権利なのかもしれない。
私の伝えたいことと違っていても、
それを「伝わっていない」と嘆くこと自体、
もしかしたら傲慢なんじゃないか、
そんなふうに思ったりもする。
ただですね。
子どもたちのことは、また別。
彼らには、伝えたいことがあるし、
むしろ「自分は何を伝えたいんだろう?」
と知りたい。
日々模索中だけど、
彼らもおそらく、
思いを丸ごと言葉にできるタイプではない。
二人ともルー大柴で、
さらに一人は、まだまだ言葉足らず。
…そりゃ、苦戦もする。
彼らは言葉以外の方法でも、
喜怒哀楽をちゃんと表現してくれる。
でも、その“言葉以外”を読み取るのが、
なかなか大変で。
自分がどれだけ言葉に頼って生きているかを、
思い知らされる。
娘を見ていると、
言葉が出ないからといって、
何も感じていないわけでも、
何も考えていないわけでもない。
ただ、内側にあるものを外に
出す表現として、
言語には限りがある。
そんなふうに見える。
言語化することって、
人間界で生きていくうえでは、
もはや生命力みたいなものに
まで発展していて、
人間活動をするには、
とても大事なスキルだと思う。
一方で、
思考を言葉にできない苛立ちを
感じることもあるし、
だからといって、
とても上手に表現する人が、
実は「演じる力」がうまいだけなんじゃないか、
と思ってしまうこともある。
ストレートに言えば、
口が上手いだけなんじゃないか、とか。
それでもやっぱり、
自分が大切だと思う人たちには、
真摯でありたい。
少なくとも、その人たちに対しては、
その真摯さが届くくらいの言語力は、
磨いていきたいと思う。
思考と言葉の間のギャップは、
むしろどんどん広がっていく感覚がある。
感情に至っては、
かなり「自分だけのもの」だと思っているから、
正直、あまり言語化する努力はしてこなかった。
でも、それでも。
子どもたちには、伝えたい。
なぜなら、
彼らの感情を、私はとても知りたいから。
今年も大変めんどくさいでしょ?
どうぞ飽きずにお付き合いください。
よろしくお願いします!