戦力差は歴然であったが、死に物狂いの官軍の活躍は目覚ましかった。手をつけられないと考えたのか太平道の軍は距離とって行った」。以前囲まれている状況に変わりはないが一息つける時が与えられたのだった。

雷神は自軍の様子を伺っていた。開戦から半日が過ぎようとしていたが被害は多くなかった。が、一時の休息により緊張の糸が解けた感がある。次はもっと大きく兵力を損耗するであろうと思い巡らせていた。

軍の頭格である清蔵、伝兵衛、平助の三人を集めた。雷神を含め四人は馬上で談合する形になった。


「敵は我等を恐れて一線を引いた。この機会に殿の率いる本隊に早馬を出す。数騎であればこの囲みを掻い潜れるかも知れぬ。行け」


「御免被りまする」


真っ先に清蔵が答えた。


「・・・下知に従えぬと申すか」


「厭じゃ!この窮地に軍を離れて一人おめおめと生き残れるものか」


清蔵の言葉はもはや主に対してのそれでは無くなっていた。


「ここで犬死するより余程重き役を申しつけているのが分からぬか!たわけめ」


雷神は額に血管を浮き立たせ吐きつけてから伝兵衛の方を向いた。


「貴様は?」


「お断り申す」


「・・・平助」


「その儀だけは、ご容赦をば―――」


平助が断り文句を言い終わる前に雷神は平助の馬の尻を槍の柄で殴打した。叩かれた馬は否が応にも駈け出す。続いて残り二人にも同様に叩き出した。


「聞き分けのないたわけ共め!うぬ等の返答など求めておらぬ。血迷うて戻って来たらその首は無いと心得よ」


振り返る彼らを凄まじい殺気を帯びた眼光で睨みつけていた。

やがて見えなくなったその後ろ姿が焼き付いている。彼らの心境は痛い程に分かっていた。

感傷に浸る間もなく第二派に見えることとなった。

もう戦略はなかった。眼前の敵をひたすら討つの一点である。ただひたすら。

千いた兵も五百となり二百となりやがて数十程となった。残った者達も疲労困憊といった感じで気力だけで動いている。


「天下に轟く雷神隊の底力はこんなものか!まだまだであろう」


雷神の後方で突如喚き散らしている声がする。聞きなれたその声の主は清蔵だった。振り向くと伝兵衛もいた。


「何故戻って来た。たわけ共め!」


雷神は怒鳴ったがそれ以上は言わなかった。こういう彼らの気性を知りつくした上での先程のやり取りだったのだ。案の定、平助はいない。平助だけは雷神の命に従ったのだ。

二人の強者が戻った軍はまた活気を取り戻した。


「まだまだ!五体が動く内は鬼となって斬り尽くしてやるわ」


伝兵衛が叫んだ。

しかし、一向に終わりが見えない太平道の包囲網の輪はどんどん小さくなっていき兵は次々と倒れていった。

そして激しい戦いに耐え切れなくなって馬達が潰れていった。伝兵衛は馬が潰れたために落馬しそこを討たれた。雷神の馬はまだ大丈夫であったが潰れる前に降りた。もはや清蔵はおろか一人も雷神の廻りには居なくなっていた。それでも雷神は一人で暴れた。この状況になっても傷一つない雷神の強さに恐れをなし斬りかかってくる者が居なくなった。直接ではなく弓矢での攻撃に切り替えたらしい。雨の様に降ってくる矢を全て叩き落とした。

しかしいくら強くても限度はある。もう手足に感覚はなかった。

限界を感じた雷神は槍を宙へ放ち、腰の一振りに眼を落とした。


空は晴天で照りつける日差しだった。

高宮山の麓の古寺に陣取っている官軍は活気に満ちていた。昨日の窮地を脱し勝利まで得たのが大きいのだろう。雷神は汗を拭いながらその様子を伺っていた。昨日の戦は陣立てでは完敗であった。それを覆したのは野生の勘と言うべきか本能的に活路を見出したのだった。窮地に陥れたのは自らの軽挙にあると自覚している。

主である神無月からも度々諌められてきたことを思い出した。


(深入りし過ぎた様だ。慎まねばならん。慎まねば・・・)


しかし、戦果は得たのだ。あれだけの大勝では太平道側の狼狽が想像できる。それを思うと幾分得意な気持ちになるのも事実だった。


「大将、大将!」


大きな声が近付いて来た。額に刀傷が目立つ清蔵の声だった。


「何とした。騒々しい」


「大変じゃ、裏にお廻り下され!」


清蔵に急かされ、寺の裏側に廻り込み山の頂を見た雷神は言葉を失った。


「太平道の旗で御座る」


確かに太平道の旗が翻している。しかも旗の量から察するに官軍の兵力を上回っていた。対峙している太平道の本陣と高宮山の間にはこの古寺しかない。少人数ならまだしも、軍勢が動けば気付く筈だった。ここに到達したときから伏せていたのかとも考えたが、それはあり得ないことだった。例え隠れていたとしても、その殺気までは消せない。そういう感覚的なものには鋭い雷神だった。とすれば山間を進んだのかもしれない。そこで雷神ははっとした。昨日の戦はこの軍勢を動かすための布石だったのかもしれない。あれだけの戦力差でもこの雷神が破ると見た者が敵の中にいる。恐ろしい戦略眼だ。そう仮定するならばこの後の動きも手に取る様に分かるのだろう。押しても引いても敵の術中。


「清蔵。山の敵からはこの寺の様子が筒抜けだ。悪戯に騒ぎ立てては直ぐに察知されよう。出来るだけ気取られぬよう、しかし粛々と陣を払うのじゃ。」


「では・・・」


「打って出るのじゃ」


「それでこそ御大将じゃ。承知仕る」


寺を出た官軍を待ち受けていたのは見渡す限りの太平道の軍勢だった。


「もはやこれまでか・・・」


「死花を咲かせる時ぞ」


「一矢報いるべき」


雷神は兵達の感慨を背中で受け止めていたが右手を高く突き上げた。


「天下の安寧を乱す逆賊が目の前にいるぞ。この雷神に続け!」


「オオー!」


官軍は雷神を先頭に火の如く突撃を始めた。