国鉄からJRに移行して数年、国鉄から継承した多くの国鉄型車両の老朽化や品質向上の観点から新型車両の導入がJR各社で始められていました。


 環境問題や省エネルギー対策といった課題もそれまでに比べて重きを占めるようになりJRはもとより大都市圏の大手私鉄でもその外観からオールステンレス車やアルミ車体の導入に消極的だった姿勢を転換して(技術の向上により不細工だった外観の見た目も改善されたこともあるのでしょう)これらステンレス車体やアルミ車体の導入に舵を切り始めていました。


 平成4年(1992年)、JR東日本に新時代のコンセプトに沿うように901系直流用電車が3編成試作されて京浜東北•根岸線で運用が始まりました。

 達成目標として

「重量半分•価格半分•寿命半分

としたことがアナウンスされ、これは当時ニュースなどで取り上げられるなどずいぶんと話題になっていたことを記憶しています。特に寿命半分という点では、寿命が長い鉄道車両はサービス面や性能の陳腐化によりリフレッシュ改造(車両の更新)など多くの経費がかかるので、その時期を待たずに廃車しても問題が無いように製造コストをかなり抑えた設計がされました。

 当時アナウンスされていたのは「寿命20年」というもので、富士フィルムから当時発売されていた使い捨てタイプのレンズ付きフィルム「写ルンです」になぞらえて「走ルンです」などと揶揄されてもいました。

  翌年の平成5年(1993年)から試作車の試用結果を踏まえて209系として量産化が開始され、その後のJR東日本や多くの私鉄や地下鉄の設計思想などに影響を与えました。


 この209系を基本に平成7年(1995年)に常磐線に導入されたのがE501系でした。

 この車両の導入背景にはいろいろとありました。

 常磐線は首都圏の他路線と事情が異なり、東京の上野駅から茨城県の土浦駅や水戸駅方面に向かう列車は電車の場合、直流区間も交流区間も両方走行できる交直両用電車でなくてはなりません。これは茨城県石岡市柿岡にある気象庁地磁気観測所の観測に漏電区域が大きい直流は観測に悪影響を与えることから常磐線は茨城県南端の取手駅〜藤代駅間で東京側の直流1500Vから土浦方の交流20000V50Hzへと電源が切り替わります。藤代駅手前に電流が流れていないデッドセクションが設けられ、列車はここを惰性で通過する間に直流から交流への車上切替が行われます。


 実はこの首都圏に唯一介在する直流/交流の2電源の存在のために現在でも常磐線は品川•上野〜取手間運転の快速電車は直流電車、取手以北へ向かう中距離電車は交直両用電車での運転なのですが、これが藤代〜土浦間の茨城県南部の沿線地域の人々にとって取手駅を境に列車の運転本数が少なくなってしまうという利便性の問題がありました。しかし、取手止まりの電車を土浦方面へ直通させるには高価な交直両用電車を大量に増備しなくてはならず、現実的ではありませんでした。

 中距離電車は国鉄から継承された415系の老朽化が進み、これを機に快速電車同様の片側4扉、全席ロングシートという通勤型車両の構造のE501系が導入されました。


 しかし、長い時間の乗車となり、運転本数も少ない中距離電車にトイレも無いなどの問題もあり、新しいE531系の導入とこれにダブルデッカーのグリーン車が2両組み込まれることとなりE501系は常磐線の土浦以北や水戸線での運用に限定されることになりました。

 数年前に水戸線からも撤退し、常磐線の水戸〜いわき間を主要な働き場所としていましたが、これもE531系での運用が増えて徐々に余剰車が増えることになりました。


「寿命20年〜30年」などと言われていた209系と車体はほぼ同じ(機器類は直流電車と交直両用電車の違いで異なります)で、登場から既に30年となったE501系ですが•••。


 まさか九州へ旅立つとは•••❗️

415系(左)とE501系(右)


 415系もかつてJR東日本からJR九州へ譲渡された車両がありますが、国鉄時代の設計車両なので常磐線でも九州でも走っていたから、帯の色を九州タイプの少し明るい青帯にすれば違和感は覚えませんでしたが、JRとなってから40年近い年月が立ち、車両デザインも各社の個性が分かれている現在はE501系は九州では異端児的なスタイルに感じられるのでしょうね。

 こちらも直流と交流に電源が分かれる関門トンネルと九州の連絡には交直両用電車が必要ですので、それまで415系が担っていたその任を引き継ぐことになるわけで、これは30年前の常磐線の再現ということにもなります。