昨日は商業デザインについて、随分と投げやりな目線で〆たようになってしまいましたが、クリエイティヴィティに満ちた魅力的な作品(仕事)も多数存在します。
そういう作品には、制約の範囲内にも自分なりの意味合いを探り、限られた余白を愉しみながら彩色するように、絶望(無駄)さえも有効に転化する技の残り香が匂い立っています。
無駄が許されない現場で、更に無駄(絶望)を活かすのですから、スタイリッシュな輝きを放つのも道理で、それが魅力的な商業デザインの在り方でょう。
数日、首根っこを掴んで話題にしている例の当事者の顔色や作品から何も匂わなかったのは、そのクリエイティヴィティの技が見て取れなかったからです。
只々クライアントにひれ伏し、制約に従うことばかりに意識が傾き、最大公約数的な落とし所を狙うなど、無味無臭のAIと同じ穴のロボットであり、そこに人間性が匂い立つはずもないのです。
既にインターネットのインフラも変態を遂げて久しい昨今、暇潰しに画像検索でもしようものなら、玄人素人の作品を問わず、ありとあらゆる“ショット”が視界に網羅されます。
最早それらを精査分類するなど不可能にも思えるくらいに、目を遣りはじめるときりがなくなりますよね。
膨大なそれらは世間であり、いちいちそれをチェックし、参考にすることは、同時に世間の目を常に気に掛けるような状態に陥りかねません。
神経が衰弱し、麻痺し、自分の立ち位置(アイデンティティ)を見失ってしまうのです。
♪「The Swan(Live at Casals Hall, Tokyo, Japan 1990/6/13)」:Orfa Harnoy
http://youtu.be/tPnyZjqoJUA



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