一昨々日に話したザックさんの口癖の中でも、脳裏から外せないくらい印象(違和感)に残っている台詞が、「もー、先にやられてしもたわー!」「人が考え付くことには大差ないさかいになー、みーんな似たようなこと思い付きよるやろ?」。
それを免罪符のように口走る彼の仕事(コピーライター)ぶりを眺めると、口ぶりに二言なき、確かにどこかで耳にした紋切り型のフレーズばかり(苦笑)。
にも関わらず、雄弁な語り口の論調や主張が、舌の根も乾かないうちに別人の如く様変り。
「そうやそうや、うんうん、まさにアイツはオレと同じこと考えてるよなー!」...で、一回りしてまた口癖の持論を狭いデスクの上で展開するのです。
自分ほど、自分を騙す“騙し屋”はいない。
自分を騙すことは楽だし、自分は元より、人は誰かに騙されたいという願望を潜在的に持ってはいないでしょうか。
厳粛な宗教について軽く俎上に載せてみると、イスラム教にしろキリスト教にしろ、見た目のスタイルは違えども源流は同じところにあり、言い回しこそ違えども同じものを神と呼んで崇めています。
互いの考え方の食い違いから、分派が発展して紛争も盛大にやらかしますが、その原因はただの人間らしい近親憎悪(エゴの対立)だったりしますよね。
分派であろうと、新興であろうと、その教義の内容には大した相違も見当たらず、在り来たりの道徳のような事柄で構成されているだけで、俯瞰して観れば、どれもどれかの剽窃(ひょうせつ)で塗り固められた痕跡がありありです。
新聞の社説を読んだり、評論家のレビューを参考にしたり、多数の声明に耳を傾けているうちに、やがてそれらが自分の考え方に化けるパターンに陥っている人も少なくないことでしょう。
そういう人は、どの辺りで自分は変化したのか、どうやって自分に都合よく記憶を補正(書き換え)したのかという、自分のなかの※“転換点”についての意識の運動神経や管理が、悪気なく杜撰(ずさん)です。
嘘つきは泥棒のはじまりという故事がありますが、嘘つきが風呂敷を広げ過ぎて、どの作り話での自分が本当の自分なのか? 自分が吐いた嘘を忘れたり、自分の正体(アイデンティティ)すら見失ってしまうような、笑えない寓話も現実に珍しくないですよね。
「誰もが皆、同じようなことを思い付く...」という安逸な台詞は、泥棒の言い訳の際の常套句にしか聞こえないし、それで片付けて自分を流している人は、怠慢を貪っているようにしか見えない。
その人に※クリエイティヴィティやアイデンティティがあるのなら、到底口走るまでもない台詞でしょう。
人となりは身なりにも出ると言いますが、例の当事者もザックさんも、仕事ぶり同様にわかりやすいファッションでご自身を塗り固めています。
往年のアイビー・スタイルのジャケットに、程々の無骨さ(スケベ根性)をチラつかせつつも清潔感に徹した髪型、そして貼り付けたような作り笑顔...
デザイナーとはこういうものだろうという、昔から世代を経ても踏襲(真似)され続けて来た、“クリエイティヴごっこ”を装う人たちが、好んでチョイスする無味乾燥(無臭)なパターンです。
「フェラーリを乗り回したい、人気者になりたい...」
富や名声への渇望が、人を突き動かす原動力になることは否定しません。往々にして、物事の取っ掛かりは他愛のない夢です。
それでも、本当にクリエイティヴィティの面白さに目覚めたのなら、そういう即物的な欲望などは、見えなくなるはずなのですが...
それも、人となりや作品に表れ、匂い立って来ます。
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影響、引用、模倣にしろ、それを噛み砕いて消化した人には、大抵その転換点について覚えがあると思います。
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孤独のなかに自分を見つめられない限り、アイデンティティに気付き、クリエイティヴィティを発揮することなど、無理な話でしょう。
♪「Our Truth」:Lacuna Coil
http://youtu.be/SB9LXpO6yWo


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