⏩嘘を呑み下すがゆえに死んでしまう。
…※ジョン・アーバスノット・フィッシャー男爵(イギリスの軍人)
陰謀論というものを端的にバッサリ斬ると、それは被害妄想の散布に過ぎません。
いちいち真偽を検証するのも馬鹿馬鹿しい、その幼稚で病的な心理に付き合える人がいたのなら、余程のお人好し。
とはいえ、陰謀論にすがり付き、そこにロマンを求めようとする人間模様の一定の傾向(パターン)を知ることは、興味深かったりもします。
※おもしろうて、やがてかなしき “黄昏時” かな…
陰謀論に興味を示し傾く人、陰謀論者の面白い(笑える)ところは、猜疑心が人一倍強いのにも関わらず、自分自身を疑わないことです。自分が大好きで、自分の思い込みについてひた向きに信じて止まない。
思い込みの激しさ故に、冷静さ(客観性)に欠き、他者に歩み寄れないのは、その方が楽だからなんですね。
自分に疑いを注ぎ、突き放した目線で自分を睨み、時間をかけて検証して行く根気や労力が、いかに高い確実性を発揮するかという発想には至らない。
そんな面倒なことよりも、そんなしんどいことにイチャモンをつけている方が気楽でしょう。
怠惰に対する勤勉、妄想に対する現実、どんぶり勘定に対する緻密な計算… どちらに価値があり、どちらが信頼に足るかは明白です。
個人の感情や思いつきのまま物事に口走ってみたところで、それを具現化していかなければ、誰からも認めてはもらえないし、まともに相手にもされない。
まあこういったことは、被害妄想を患っている人に顕著ですが、見方を変えてみれば、そんな歪んだ心の働きも、その人にとっては自分自身を保つための救いなのかも知れません。
病的かそうでないかの微妙な境界の線引きの云々を語るつもりはありません。
ただ言えることは、総じて陰謀論者のその正体は、不幸な身の上に在る人だということ。
意識や無意識を問わず、自らの不遇(妬み嫉み)に託つけて、他人に対して好戦的になったり、常に世の中を嘆きます。
自分の観測(不信感、※悲観視)が全てだから、きっと他人も世の中も同じに違いない、そうあって欲しい、自分はそういう人たちの代弁者だという、まず自分ありきの偏見や夢想(egoism)に満ちているのです。
かつて世紀末の日本を騒がせた※「ノストラダムスの大予言」にも覚えがある、古今東西の人々の深層心理に在る “畏れ” をイタズラに刺激する※黙示録的な思想。
ああいうものに迂闊に飛び付いてしまう人は、大抵自らの不遇を解消することが出来ない、某かの不幸や欲求不満を抱えた人たちです。
自分の身の上に多少なりとも不満を持ち、その原因は何かの陰謀のせいだ、世の中が悪いからだと思い込み、乱雑に解釈しようとするような、半ばヒステリックで短絡的な思考の働きがそうさせるのでしょう。
今の世の中は自分には生き辛い、だから今の世の中が一掃されて、“自分が住みやすい(自分に都合のいい)” 新しい世の中がやって来ればいいのに…
学園生活や友達に馴染めず、不登校に陥った子供の他愛のない妄想(逃避)にありがちなパターンでしょう。
前後して、ご老人の例に戻りますが、アメリカ合衆国におけるアポロ宇宙計画の集大成ともいえる有人月面着陸ミッションは、その途方もない困難さ故に、成功の軌跡の数々を見せつけられたにも関わらず、疑いの色眼鏡で見ようとする人たちが、今も(時々)こうして後を絶ちません。
まあ、温かい目線で見れば、ご老人の疑念も他愛のない子供のそれなんですよ。
おそらく、世代的には昔公開された、アポロ計画への疑惑をモチーフにした※娯楽映画の物語仕立てに影響を受けているのでしょう。
▶️「ワシはあれは絶対に怪しいと睨んどったんや、ワシの勘に狂いはないで。」
▶️「ほーらな、やっぱりそうや、映画にもなってしもうとるやんけ。」
▶️「フン、このワシの目を見くびっとったらエライ目見るで。」
▶️「ワシは国家権力や闇の軍団なんぞに騙されへんで。」
それはもうありがちなパターンもパターン。ジイサン映画に入り込み過ぎ。(笑)
昨今、インターネットの検索システムが万能に迫る中、子供がログインしてちょっと調べてみるだけでも、その疑惑や陰謀説がいかにチープな子供だましであるかという現実的な考察(情報)にも、容易に辿り着けるんですよね。
それでも陰謀論者は、確たる証明を提示されて誤りや不備(甘さ)を指摘されようが、そういう自分に都合の悪い材料などには見向きもせずに、無かったものとして自らをも誤魔化すのです。
それはもう既に、知性や魂が自殺を遂げている有り様だと言えないでしょうか。
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【ジョン・アーバスノット・フィッシャー(John Arbuthnot Fisher, 1st Baron Fisher of Kilverstone:1841年~1920年)】
▼Wikipedia
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元歌は「面白うて、やがて悲しき鵜舟(うぶね)かな」…松明を焚いて水面が賑わう鵜飼いの漁から一夜が明けて、舟が帰り支度をする頃の辺りの静けさに、思わず物悲しくなるという、謂わば人の世の無常を詠んだ松尾芭蕉の句。
【松尾芭蕉(まつおばしょう:1644年~1694年)】
▼Wikipedia
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【厭世観 (えんせいかん:pessimism)、悲観主義】
コップの中には水があと半分も入っているか、それとも半分しか入っていないか…どう答えるかという質問に対して、楽観主義者は「半分も水が入っている」 と選ぶが、悲観主義者は「半分しか入っていない」という解答をする。
あくまでも、楽観主義者が正くて、悲観主義者が間違っているという話でもありません。
▼Wikipedia
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【ノストラダムスの大予言】
1970年代に発表されて一躍ベストセラーになり、その後長年に渡りシリーズ化されたオカルト・エンターテインメント(創作小説)本。
何ら信憑性も根拠もないデタラメな内容にも関わらず、人々の世相に対する潜在的な不安感を遊び半分に刺激し、予言の信奉者(主に青少年の読者層)を続出させる現象を招きました。
▼Wikipedia
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【ヨハネの黙示録(apocalypse)】
▼Wikipedia
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【カプリコン1(Capricorn One:1977年)】
SF・サスペンス映画。いわゆるB級作品ですが、終始に渡りスリリングな展開で一気に観せます。
それはともかく、本作の制作費が現在の日本の通貨相場で約13億円($500万×¥250)、更にはアポロ計画に計上された予算は10兆円($300億×¥300)を下らないという、その財政面だけでも莫大な出費を伴いました。
これに対して陰謀論を唱える人は、果たしてそれ程の資金や労力などの犠牲を払ってまで(せめて映画の制作費に及ぶ程)、具体的に検証して見せたのか?…ということですよね。(笑)
▼Wikipedia
♪「If only tonight we could sleep」:The Cure
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