クリエイティヴな物事に関わっていれば、アイデンティティは、いつか気が付くもので、何処かの時点で気が付くべきものだと思っています。

気が付いた人は、それを内から膨らませて育てて行く。
気が付かない人は、外から塗り固められて行く。

例の当事者を見れば、アイデンティティが無いことがアイデンティティであるという、箸にも棒にもかからない始末もありますが、コラージュという構成法があるように、仕上がっている誰かの素材を切り貼りしてアートに偽装(擬態)するという、巧妙なスタイル(センス)も認知されています。

まぁ、自分も御多分に洩れず、天使を描く際には※マイケル・カルタの影響が隠せないし、※ギーガーにフラゼッタ...同業の世界に止まらず、映画や落語、etc... 特に音楽の世界は血肉には欠かせない。
それでも、自分のアイデンティティには既に気が付いています。

かつて、その道の学校に籍を置いた時期がありますが、そこでの決まりきった講釈から、自分のアイデンティティに感知(関知)するような、かけがえのない何かを得た覚えはありません。
形をなぞって、それ風の格好(ライフスタイル)を装っている人たちの姿に、お里が知れていることを見て、本能的に無臭の危惧を嗅ぎ分けたのでしょう。
課外活動で吸収したものばかりが、アイデンティティの血肉になっています。

はいはいと品行方正に従い、何でもかんでも鵜呑みにすることと、素直に生きることの間には、大きな隔たり(価値の格差)があります。
前者が自分のアイデンティティに気が付くことは、きっとないでしょう。


^※
【Michael William Kaluta(1947年~)】
▼Wikipedia
http://goo.gl/69PRTV

^※
【H・R・ギーガー(1940~2014年)

▼Wikipedia
http://goo.gl/CVMvMn

^※
【フランク・フラゼッタ(1928~2010年)】
▼Wikipedia
http://goo.gl/3N18ZA



♪「Hasret Rüzgarları」:Ebru Gündeş
http://youtu.be/CGDWFgylvDY





^*動画、及び添付のドローイングは、本文の内容に関わり合うような意味はありません。