クリエイティヴィティを育み、その可能性を広げて行くためには、人それぞれの感性が、何者にも縛られないことが理想的ですが、世の中を生きる以上、柵(しがらみ)を全て断ち切ることなど不可能でしょう。
それに、人は何よりも先ず自分自身に縛られます。
それならば、いっそのこと縛られた身の上のなかで自由に振る舞えばいい。

自分のやりたいように振る舞うことが自由だと、人はつい勘違いしがちですが、それを実行する人はいずれ必ず破綻し、何者かの手によって縛りつけられてしまいます。
野放しの自由というものは、自由への願望や理想に酔いしれた非日常の逃避であり、日常の縛りから逃げ出すことによって、身の置き所も持てず、致し方(術)も筋合い(理由)も進む方向(目的)も見失ってしまい、窮まってしまうのです。


本当の自分を発見するために、自分探しの旅に出るという、ロマンティックを装い、夢を刺激するような台詞がありますが、それを謳って旅をする人を観れば、根なし草がぼんやりと世の中を漂っている姿にしか見えないんですよね。

自分に気が付くのは自分でしかないように、結局は何処に飛び出して行こうが逃げようが、その場所で気が付くのは他でもない自分であり、旅人の格好だけをキメたところで、わざわざご苦労様な姿です。

気が付く人は、いま居る場所で気が付くし、場所や縛りにさえこだわらないでしょう。
縛られていても、それを意識しないところに自由が生まれ、限られた範囲のなかで自在に振る舞える発想が、自由を享受することの秘訣なのだと思います。


でもまぁ、以上の話は、クリエイティヴィティに関してのみ有効な、屁理屈か与太話かも知れませんが(苦笑)。



♪「Earth Mother」:Lesley Duncan
http://youtu.be/tJ8i3BhhV6







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