「神はサイコロを振らない。」>アルベルト・アインシュタイン(20世紀の理論物理学者)


古今東西、“運命”という言葉は、使い勝手がいいみたいで、日頃から至る所で見聞きしますが、自分にとっては、もしかすると金銭の話以上にイラッとくるキーワードかも知れません。
物事を考察する手間から逃げて、運命の一言で片付けようとする短絡さ加減に嫌気を覚えるのでしょう。
また、夢見がちで甘ったるい能天気な匂いが鼻につくようなイメージも受けます。
他愛のない占いの類いにさえイラッとするのですから(苦笑)、自分は運命論者は好きになれません。

人は、未だ見ぬ先行きの展望が開けるような予感に期待を抱いたり、予想にあたって不安材料を列べては絶望視したりもしますが、あくまでも今の出来事として目の当たりにしない限り、未来の実態などは掴めるはずもないし、運命という未来形などは端からあり得ないのです。

あり得るものは結果だけ。人は、既に済んでしまった事に、後から意味付けしたり、理由を考察して、それを運命と呼んでいるだけなのです。

また、過ぎ去った出来事にしても、実体のない残像なのですから、運命というものは何処にも存在感のない、いい加減なものだと言えるでしょう。

自分が、運命という言葉に懐疑的になってしまうのは、そういう言葉の罠が潜んでいるからなんですね。

 
人の夢や不安に響きやすい、運命という言葉の催眠術に翻弄されたり、そういう人の心理を刺激して、操り陥れようとするペテン師の顔触れも諸処(そこかしこ)に見ながら、時は流れ、今は巡って来ます。

 

♪「You. Me. Bed. Now.」:Caris Van Houten
http://youtu.be/9m9Vr1r15Xg



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