二重写しの現(うつつ)を生きているといえばいいでしょうか。
いまになって思い至れば、子供の頃は皆、大人の日常が及ばない、自由奔放な世界というものに親しんでいたような覚えがあります。
大人たちが過ごす現実の世界に重なる、子供だけの特有の世界。
ジャングルジムや滑り台が宇宙船に様変りしたり、木登りがそびえ立つ魔の要塞を攻略する決死のクライミングになったり、大人の目線から見れば無邪気なものですが、思い込み、なりきりぶり、弾けた発想にハッと驚かされることがあるでしょう。
制約のない向こう見ずな冒険を体験する原動力が、そこにはあるのです。

自分が身を置いていると実感する世界も、それに似ています。
日常に重なる、自分だけの次元を見据えている時、穏やかな間合いから垣間見える※“静かなる一点”に自分の価値が見出だせるからこそ、机に向かい絵筆を手に取るのです。
 
そこでは自分が造物主(creator)である以上、慎みを忘れまいと心がけていても、自ずとエゴイズムというものは拡大して行くもので、ペン先を操ったり物語を導く際に、時に自分勝手な考えや理不尽な振舞いに気が付いて、自分で自分に嫌気をもよおすこともあります(苦笑)。
思いのままも行き過ぎてしまうと、自分の世界(居場所)を失うことにもなりかねないんですよね。

そういう時には、ふらりと街中を散策し、人混みに溶け込むように自分のエゴを薄めて、風通しをします。

 

この冬は、例年になく厳しい寒さが続いていますよね。
いくら冬場のシーズンが好きでも、ちょっとやり過ぎではないかと思っているうちに、昨日(2月14日)、九州北部~中国~北陸地方に、春一番が吹いたと気象庁からのアナウンスがありました。
関西でも、穏やかな陽気の下、公園を無邪気に走り回る子供たちの姿に目が留まりました。

 

花をのみ 待つらん人に 山里の 雪間の草の 春を見せばや
(藤原家隆:壬二集より)

 

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「静かなる一点」は、アメリカの神話学者ジョーゼフ・キャンベル:Joseph Campbell(1904年3月26日~1987年10月30)の著作の中にある言葉です。
それを自分なりに解釈や意味付けをする形で、長々とした連想が続いてしまいました。

 


♪「Errors Of My Way」:Wishbone Ash 
http://youtu.be/NAdY1y1KgIw

 





^*動画、及び添付のドローイングは、本文の内容に関わり合うような意味はありません。