冬将軍がやって来た11月のある日
宮城県の山元町というところへ行って来ました。
仕事ではありません。
なんとこの私がボランティアです。
メイクの先輩に兼ねてから誘っていただいていて、
念願かなってスケジュールが合い、
先輩の車に乗せていただき、
東京から宮城まで
片道5時間、えっちらおっちら向かいました。
先輩は震災直後の瓦礫処理から参加し
福島の避難区域に行ったり
今回の月命日に行われるイベントに参加したりと
被災地とずっと関わって来た人です。
震災直後というと
ちょうど亡き父の病気が発覚し
余命宣告を受けた頃で
ちょっとバタバタしておりまして
というのは完全なる言い訳で
被災地に行けば自ずと向き合うことになるであろう
死という現実から
完全に逃げておりました。
闘病記にも書きましたが
ある日突然津波で流されるのと
余命宣告を受けて確実に迫る死と向き合うのと
どちらが辛いのか
そんなことをずっと考えながら
日々のニュースを眺めていました。
今回、毎月の月命日に行われるイベントと
先輩も私もスケジュールが合い、
遂に被災地へ行くことになりました。
東北自動車道をひたすら北上し、
宮城県山元町にある仮設住宅に到着。
海からは少し離れた林の中に
突然現れるプレハブ群。
神戸の仮設住宅さえ見たことがなかった私には、
やはり「異質」に映りました。
この辺りの津波被害は、
川を挟んで大きく違ったらしく
仮設住宅に着くまで全く津波の被害を感じるような光景はありませんでした。
川の向こうは甚大な被害を受け、
壊滅状態だったというから、
まさに運命を分けたのだと思います。
そんな道のりだったので、
正直被災地にいるという緊張感も感じないままだったのですが、
仮設住宅を見た瞬間、
ここが被災地であるということを急に実感しました。
テレビで見るようなプレハブの仮設住宅が三列ほどあり、
敷地の入り口に集会所がありました。
今日は、ここでいろんな催しをやる予定。
小さな町の公民館と言った集会所に入ると、
原宿から来たという珈琲屋さんが
既に準備に入っていました。

この日は初雪を観測したほどの寒さだったので、
いい香りの珈琲に癒されました。
今回、私たちはLOVE for NIPPONという
キャンドルジュンさん主宰のボランティアイベントに
ハンドマッサージ隊として参加させてもらいました。

本当はヘアメイクをしてあげて、
喜んで貰えるのが1番いいのだけど、
それにはやはり時間やスペースを必要とするので
ハンドマッサージをしながら
世間話や被災の話をする、
ということが
とりあえず今の私たちに出来ることみたいです。
そして、今回初参加だという、
目黒からマッサージ師さん。






そして、外が暗くなると、

ヨガの先生による、
椅子に座って出来るヨガのレクチャー。

景品付きのビンゴ大会。

景品は、ジュンさんのキャンドルがやはり1番人気。

そして、1番盛り上がったのが輪投げ大会。

私もさせてもらったけど、
これがなかなか難しい。

かなり白熱。
被災者のおかあさんたちがつくってれたイチゴのアクリルたわし。

可愛い。
ジュンさんのキャンドルが灯されました。

震災発生時からずーっと
今は毎月の月命日にこの活動を続け、
少しずつ被災者の方と繋がりを深めて来たんだそうです。
日々、自分の生活だけに必死になりがちな私たちにとって、
なかなか出来ることではありません。
おかあさんたちの、一生懸命働いて来たゴツゴツした手をマッサージしながら
いろんな話を聞きました。
津波で流された時の話をサラッと話すおかあさんは、
どこにでも居そうな、
とてもそんな壮絶な経験をしたとは思えないおかあさんです。
20年以上前、子どもを四人抱えて夫を亡くし、
周囲にバカにされないよう、
それぞれが就職するまで一生懸命育て上げたおかあさんは
今度の津波で家を無くし、
アパートに暮らしながら眠れぬ夜が多いそうです。
話を聞いていて思ったのは、
未だに眠れぬ夜を過ごす人たちの、
何と多いことか。
津波で流された電車が未だに通らず、
若い世帯はみんな電車のある町に引っ越してしまい、
すっかり人が減ったとか。
被災地は、まだ何も復興していない。
人々は、もはや復興復興と叫ばれることにも疲れている。
被災者の報道もすっかり減った今、
私たちのことを思い出してくれるだけで嬉しいと
可愛い笑顔で言うおかあさんたち。
私の仕事は、緊急時に役立つものでは決してないけれど、
たった15分という短い間でも
喜んで貰える仕事なんだってことが嬉しかったです。
そして、こういう機会では職種を生かすことは出来なくても、
イベントの準備や進行役、盛り上げ役として
たくさんの人が来ていました。
自分の目で、現実を知るって大切なことです。
多分、被災地を知るってことは、
今の日本を知るってことなんじゃないかと思います。
おかしな法案のせいで、
いつか被災地の事も書けなくなることがあるかもしれない。
正直なところ、
私にとって日本はもはや信用出来る国ではないし、
原発に関しては諸外国も日本のことを嘲笑っています。
微力かもしれませんが、
今後も、月命日や3.11には
いろんな人によって、
いろんな形でこの活動が続けられます。
私も、自分に出来る範囲で
被災地と関わっていければと思っています。














