11月、長女夫婦がオランダ旅行に行った。
Tがまだ安定していた頃に計画したものだったので、
入院が決まったことで中止にしようとした。
Tも妻も、行って来い、と背中を押した。
この病気のために、やりたいことを諦めて欲しくなかった。
退屈な入院中、遠いヨーロッパからの画像付きの便りは
Tにとっても楽しみだった。
三女は、病室で昼飯を食べて行ったりする。
食事を制限されているTの目の前で、美味しそうなものを食べる。
末っ子の無邪気な性格に、何度も気持ちが救われた。
三女とは、一番よく話をした。
「仕事はどうだ?」と、病室でも電話でもTは尋ねた。
社会に出て二年目の三女は、いつも会社や営業の愚痴を言う。
「お前の会社はいい方だ。世の中には、もっと辛い環境で働いている人がたくさんいる。」
自分以外の家族は皆、手に職をつけている三女にとって
いつでも職場を変わることができる父の言葉は
ただの理想論に思えた。
会社のために、時にやりたくないこともしなければならい辛さなど、
父にはわからない。
そう思ってTの言葉を聞き流していた三女だったが
長年社会に揉まれて働いてきた筈の父が
なぜこんなに仕事に対して誠実なのか、だんだん不思議に思えてきた。
あるとき、Tの職場とのやりとりのメールを見る機会があった。
そこには
復職したいというTの強い気持ちと
職場で起こっている問題を常に気にかけ、
何も出来ないもどかしさと申し訳なさが綴られていた。
今日、死ぬかもしれないという状況の中で
突然発症したことでやり残してしまった仕事のことをいつも考えてきた。
頑固で信念を曲げないTは、決して世渡り上手ではなかった。
臨床の現場が疎かにされれば、利益重視の上司とぶつかってきた。
そのために煙たがられ、居場所が無くなることもあったが
そんなTを理解し、慕ってくれる仲間たちもたくさんいた。
最後の職場は、目標を持てなかったり、社会に馴染めない若者たちを
理学療法士という道に導く仕事だった。
たくさんの若者と向き合ってきたからこそ
教育者として、社会に出て間もない三女に伝えたいことがあった。
三女は愚痴を言わなくなった。
少しでも明るい話ができるよう一生懸命仕事をした。
父のように、辛いときも負けない人でありたい。
真面目にやれば、結果が出る。
配置一年目の営業成績が全国5位になった。
明るい報告が増えたことと、初めて仕事で父に認めてもらえたことが嬉しかった。
いつまでも移植前の細胞が居座るので
もともとの細胞をやっつけるため分子標的治療を始めたが
これによって新しい造血細胞もダメージを受けているようだった。
白血球が作れず、原因不明の熱が続く。
赤血球も血小板も連日輸血しなければならなかった。
これが12月まで続いた。
季節は、いつの間にか秋から冬に変わっていたが
病室では冬の寒さがわからなかった。
妻は相変わらず足繁くやってくる。
随分薄いコートを着て、寒い寒いとぼやいてる。
そう言えば、もうすぐ妻の誕生日だ。
Tは妻にプレゼントを贈るような男ではなかった。
最後に何かをプレゼントしたのがいつだったか、
Tも妻も覚えていなかっただろう。
「形見になるようなコートを選んで欲しい」
自分で買いに行けないので、三人の娘に頼んだ。
ヘソクリがいくらか残っていたはずだった。
大した金額ではなかったが、妻のいつもの上着よりは
いくらかいいものが買えるだろうと思った。
こんなことなら、自転車を買わないでおくんだった。
生涯現役のつもりだったTにとって、こんなに早い時期でのリタイヤは誤算だった。
長い入院生活の中で、Tは正気を保ち続けた。
もう随分前から、いつ脳内出血で死んでもおかしくないと言われてきた。
死と隣り合わせの生活が
もうすぐ二年になる。
一回8万円の血小板輸血を毎日。
俺が死ねば金がかからないのに、と思えてくる。
Tが弱音も吐かず、辛い治療に耐えているから、
家族もまたそんなTの姿に支えられてきた。
背後にある大型の空気清浄機の音だけが響く個室のベッドで
1人ぼんやりしていることが増えても
Tは壊れなかった。
目論んでいた年明けの復職も叶わなさそうだった。
年越しも、恐らく病室だろう。
愛知県の義理の父が淋しがるから、
家族はそっちで年越しをするように、と頼んだ。
Tがまだ安定していた頃に計画したものだったので、
入院が決まったことで中止にしようとした。
Tも妻も、行って来い、と背中を押した。
この病気のために、やりたいことを諦めて欲しくなかった。
退屈な入院中、遠いヨーロッパからの画像付きの便りは
Tにとっても楽しみだった。
三女は、病室で昼飯を食べて行ったりする。
食事を制限されているTの目の前で、美味しそうなものを食べる。
末っ子の無邪気な性格に、何度も気持ちが救われた。
三女とは、一番よく話をした。
「仕事はどうだ?」と、病室でも電話でもTは尋ねた。
社会に出て二年目の三女は、いつも会社や営業の愚痴を言う。
「お前の会社はいい方だ。世の中には、もっと辛い環境で働いている人がたくさんいる。」
自分以外の家族は皆、手に職をつけている三女にとって
いつでも職場を変わることができる父の言葉は
ただの理想論に思えた。
会社のために、時にやりたくないこともしなければならい辛さなど、
父にはわからない。
そう思ってTの言葉を聞き流していた三女だったが
長年社会に揉まれて働いてきた筈の父が
なぜこんなに仕事に対して誠実なのか、だんだん不思議に思えてきた。
あるとき、Tの職場とのやりとりのメールを見る機会があった。
そこには
復職したいというTの強い気持ちと
職場で起こっている問題を常に気にかけ、
何も出来ないもどかしさと申し訳なさが綴られていた。
今日、死ぬかもしれないという状況の中で
突然発症したことでやり残してしまった仕事のことをいつも考えてきた。
頑固で信念を曲げないTは、決して世渡り上手ではなかった。
臨床の現場が疎かにされれば、利益重視の上司とぶつかってきた。
そのために煙たがられ、居場所が無くなることもあったが
そんなTを理解し、慕ってくれる仲間たちもたくさんいた。
最後の職場は、目標を持てなかったり、社会に馴染めない若者たちを
理学療法士という道に導く仕事だった。
たくさんの若者と向き合ってきたからこそ
教育者として、社会に出て間もない三女に伝えたいことがあった。
三女は愚痴を言わなくなった。
少しでも明るい話ができるよう一生懸命仕事をした。
父のように、辛いときも負けない人でありたい。
真面目にやれば、結果が出る。
配置一年目の営業成績が全国5位になった。
明るい報告が増えたことと、初めて仕事で父に認めてもらえたことが嬉しかった。
いつまでも移植前の細胞が居座るので
もともとの細胞をやっつけるため分子標的治療を始めたが
これによって新しい造血細胞もダメージを受けているようだった。
白血球が作れず、原因不明の熱が続く。
赤血球も血小板も連日輸血しなければならなかった。
これが12月まで続いた。
季節は、いつの間にか秋から冬に変わっていたが
病室では冬の寒さがわからなかった。
妻は相変わらず足繁くやってくる。
随分薄いコートを着て、寒い寒いとぼやいてる。
そう言えば、もうすぐ妻の誕生日だ。
Tは妻にプレゼントを贈るような男ではなかった。
最後に何かをプレゼントしたのがいつだったか、
Tも妻も覚えていなかっただろう。
「形見になるようなコートを選んで欲しい」
自分で買いに行けないので、三人の娘に頼んだ。
ヘソクリがいくらか残っていたはずだった。
大した金額ではなかったが、妻のいつもの上着よりは
いくらかいいものが買えるだろうと思った。
こんなことなら、自転車を買わないでおくんだった。
生涯現役のつもりだったTにとって、こんなに早い時期でのリタイヤは誤算だった。
長い入院生活の中で、Tは正気を保ち続けた。
もう随分前から、いつ脳内出血で死んでもおかしくないと言われてきた。
死と隣り合わせの生活が
もうすぐ二年になる。
一回8万円の血小板輸血を毎日。
俺が死ねば金がかからないのに、と思えてくる。
Tが弱音も吐かず、辛い治療に耐えているから、
家族もまたそんなTの姿に支えられてきた。
背後にある大型の空気清浄機の音だけが響く個室のベッドで
1人ぼんやりしていることが増えても
Tは壊れなかった。
目論んでいた年明けの復職も叶わなさそうだった。
年越しも、恐らく病室だろう。
愛知県の義理の父が淋しがるから、
家族はそっちで年越しをするように、と頼んだ。
