こんにちは。
あもんです。
この前の鶏ガラ料理で、
鶏ガラの骨から肉を取り出している時に、
鹿猟に連れて行ってもらったことを思い出した。
滋賀在住の白馬にまたがったワイルドな友達が
「鹿猟するから、見に行かへん??」
って誘ってくれた。
それは、とても衝撃的でした。
滋賀では
「山が深い場所に畑が隣接する場所では鹿などの野生動物が作物を荒らすので害獣駆除として狩猟が行われています。嘉田由紀子滋賀県知事によれば、「農作物被害や生態系への影響、地域社会の崩壊にもつながりかねない課題で、一層の対策強化が必要」という程に問題は深刻な様子。」
(↑ちょうど私と似たような体験をした記事を発見したのでリンクします。色文章をクリック)
鹿が槍でつかれる時は見ていて痛ましかったです。
その後の解体までも見てしまいました。
私はただ見ているだけで何も手伝わず、
いや、手伝うことができず、
ただ、ぼ~っと見ていました。
まだ、生きている若い鹿が罠に捕まっている姿を見て、
あ~、可哀想に・・・って思っていた横で
猟師さんとお友達は、「あれは若いから美味しそう」って言ってはりました。
私はその感覚に少し驚きつつも、
熟れた柿を見て、「美味しそう」と思うのと同じ感覚なんだろうな~って思いました。
彼らが非情なのではなく、
彼らの生活(農業・家族)を守るための鹿猟です。
「これでも小さい頃は子鹿物語を見て泣いたもんや。」
仕留めた鹿を軽トラに乗っけながら猟師さんが言ってはりました。
私達は
お皿の上に調理された鶏や豚を見ると、
多くの人は美味しそうと思います。
でも、
生きている鶏や豚や牛は美味しそうとはあまり思いません。
どちらかというと、愛らしいとさえ思ってしまいます。
誰かがスーパーの精肉売り場へ行き着くまでの過程を肩代わりしてくれています。
そして、お肉だけじゃなく、
野菜等の農作物を収穫する裏には、こんな犠牲があったのです。
私はベランダ菜園が好きで、今年の夏も沢山育てました。
自分だけが食べるんで無農薬で育てましたが、
実際、虫や鳥が食べるのが先か?、私が食べるのが先か?
そういった争いがあります。
農業を職業としている人は虫にも鳥にも鹿にも猿にも猪にもとられてはならないのです。
農薬を撒いて駆除するか、こうして鹿猟をして天敵を減らすかするのです。
私のお友達にビーガン(ベジタリアン)になった人が居ました。
彼女は肉を食べることは酷いことをしているのだと言って、
YouTubeで屠殺するシーンを見て肉食をやめなさい!って強制されました。
その言葉通りに見なかったけど、でも、しばらくお肉を口にするのが億劫になってしまいました。
そのことがずっと心の奥に引っかかっていて、
そんな時、
友達に鹿猟見学に誘われ
行って何かを確かめたかったのです。
そして、そこで私が感じたことは
生きていくということは、何らかの犠牲の上に成り立つこと。
野菜を食べるというこはその野菜だけではなく、
その裏にも何らかの犠牲があって私達の口に入るのです。
もし、
ビーガンになった理由が動物達が殺されるのが可哀想って理由なら、
屠殺される動物たちだけを見てはならないのです。
食卓に並ぶ野菜や果実の影にはこんな犠牲があります。
「いただきます」
何かを食べる前に言う「いただきます」は、
「〇〇の命を私の命にさせていただきます」
ということ。
食べ終わった時に「ごちそうさまでした」
って言うのは食材を調達&調理してくれた人に言う感謝の言葉。
今日も感謝を込めて全てに
「いただきます」
******
マキちゃんへ
鹿猟誘ってくれてありがとう。
あの時はなんのお役にも立たずごめんね。
とても考えさせられました。
改めて全てに感謝。
おみやげの鹿肉は、美味しく頂きました
あもんです。
この前の鶏ガラ料理で、
鶏ガラの骨から肉を取り出している時に、
鹿猟に連れて行ってもらったことを思い出した。
滋賀在住の白馬にまたがったワイルドな友達が
「鹿猟するから、見に行かへん??」
って誘ってくれた。
それは、とても衝撃的でした。
滋賀では
「山が深い場所に畑が隣接する場所では鹿などの野生動物が作物を荒らすので害獣駆除として狩猟が行われています。嘉田由紀子滋賀県知事によれば、「農作物被害や生態系への影響、地域社会の崩壊にもつながりかねない課題で、一層の対策強化が必要」という程に問題は深刻な様子。」
(↑ちょうど私と似たような体験をした記事を発見したのでリンクします。色文章をクリック)
鹿が槍でつかれる時は見ていて痛ましかったです。
その後の解体までも見てしまいました。
私はただ見ているだけで何も手伝わず、
いや、手伝うことができず、
ただ、ぼ~っと見ていました。
まだ、生きている若い鹿が罠に捕まっている姿を見て、
あ~、可哀想に・・・って思っていた横で
猟師さんとお友達は、「あれは若いから美味しそう」って言ってはりました。
私はその感覚に少し驚きつつも、
熟れた柿を見て、「美味しそう」と思うのと同じ感覚なんだろうな~って思いました。
彼らが非情なのではなく、
彼らの生活(農業・家族)を守るための鹿猟です。
「これでも小さい頃は子鹿物語を見て泣いたもんや。」
仕留めた鹿を軽トラに乗っけながら猟師さんが言ってはりました。
私達は
お皿の上に調理された鶏や豚を見ると、
多くの人は美味しそうと思います。
でも、
生きている鶏や豚や牛は美味しそうとはあまり思いません。
どちらかというと、愛らしいとさえ思ってしまいます。
誰かがスーパーの精肉売り場へ行き着くまでの過程を肩代わりしてくれています。
そして、お肉だけじゃなく、
野菜等の農作物を収穫する裏には、こんな犠牲があったのです。
私はベランダ菜園が好きで、今年の夏も沢山育てました。
自分だけが食べるんで無農薬で育てましたが、
実際、虫や鳥が食べるのが先か?、私が食べるのが先か?
そういった争いがあります。
農業を職業としている人は虫にも鳥にも鹿にも猿にも猪にもとられてはならないのです。
農薬を撒いて駆除するか、こうして鹿猟をして天敵を減らすかするのです。
私のお友達にビーガン(ベジタリアン)になった人が居ました。
彼女は肉を食べることは酷いことをしているのだと言って、
YouTubeで屠殺するシーンを見て肉食をやめなさい!って強制されました。
その言葉通りに見なかったけど、でも、しばらくお肉を口にするのが億劫になってしまいました。
そのことがずっと心の奥に引っかかっていて、
そんな時、
友達に鹿猟見学に誘われ
行って何かを確かめたかったのです。
そして、そこで私が感じたことは
生きていくということは、何らかの犠牲の上に成り立つこと。
野菜を食べるというこはその野菜だけではなく、
その裏にも何らかの犠牲があって私達の口に入るのです。
もし、
ビーガンになった理由が動物達が殺されるのが可哀想って理由なら、
屠殺される動物たちだけを見てはならないのです。
食卓に並ぶ野菜や果実の影にはこんな犠牲があります。
「いただきます」
何かを食べる前に言う「いただきます」は、
「〇〇の命を私の命にさせていただきます」
ということ。
食べ終わった時に「ごちそうさまでした」
って言うのは食材を調達&調理してくれた人に言う感謝の言葉。
今日も感謝を込めて全てに
「いただきます」
******
マキちゃんへ
鹿猟誘ってくれてありがとう。
あの時はなんのお役にも立たずごめんね。
とても考えさせられました。
改めて全てに感謝。
おみやげの鹿肉は、美味しく頂きました