こんにちは。

あもんです。


1998年のこと・・・


タイ

98年、私はタイに居た。

今でも憶えている。

1万円をタイバーツに両替すると、
4200(B)バーツもらえた。
(現在¥1万円=3685B)
(因みに98年当時は米$1ドル=¥130円前後で、
円もアジア通貨危機に引っ張られてか強くなかった。
現在は言わずと知れた、米$1ドル=¥82円前後
今のほうが円レートが良い。)

98年タイ経済がクラッシュ。
旅行者にとっては安かった。

例えば、

当時私が泊まっていた宿
タイゲストハウス(通称タイゲス)1泊 80B(トイレ・シャワー共同)
約¥184円である。
現在はタイゲスは無くなり、その後
PCゲストハウス 1泊 100B (トイレ・シャワー共同)
(*最後にPCに行ったのが08年なので、その時の料金です。)
現在のレートで換算すると、270円くらいかな???

1食屋台のタイ飯であれば10~30Bあれば、お腹いっぱいになった。
贅沢しようと日本食を食べれば
レストラン 築地 本日の定食(ランチ)99Bで食べられる。
最後に築地に行ったのが08年で、全く同じランチが200Bになっていた。
$どこへ行こうかな???
現在は何Bなんだろう???

インドからタイにやって来た私にしれみれば、
インドと払っている金額(価値)はほぼ同じなのに
クオリティーがぜんぜん違う。
本当に天国の様に安かった。

ただ、肌で感じたのが物価の上昇。
そして、
街に出れば1等地に建設中のビルが
経済破綻で工事がストップ。
その後何年も建設途中のまま放置。
現在はWTCの裏に工事が終了し建っている。
(風化が心配で行く気にならない。)

ラオス

98年、私はラオスに居た。
どのくらい滞在したかは忘れたけれど、
今でも鮮烈に憶えている。

ラオス通過”キップ”が日に日に
どんどん落ちていったことをダウン

例えば、

100円を両替して9000キップ手にする。
次の日同じ両替場で両替しようとすると
100円で9050キップにレートが変化していたりするんです。

わんわん両替所のおっちゃんは、
「小額紙幣より高額紙幣のほうが両替率いいよ♪」
と、
甘くささやくが、
見る見る間にキップの価値が下がるのに高額紙幣を両替したら損。
物価の安いラオスではそんな一気に使い切れません。

とにかく、
小額紙幣20ドルづつを細かく両替。

両替すると、札束で貰える。
一瞬ものすご~くリッチになったかの様に思えたが、
キップのお札には大きな羽が付いていた。

キップ通過が下がるに比例して物価はどんどん上昇。
例えば、
500キップで買えたバナナが、
次の日、同じお店で600キップで売っている・・・
にゃー「え~っ!」とごねても、
ブタネコ「昨日は昨日、今日は今日なのよ~」
と言う。

しゃ~ないか・・・

(因みに97年のトルコでも似たような経験をした。)

インドネシア

98年、私はインドネシアにも居た。

インドネシアの中でも、
日本円の両替レートが唯一良いバリに飛んだ。

今でも強烈に憶えている。

私は5万円をインドネシアの通過ルピアに両替した。

そして・・・

抱えきれないほどの札束を手に入れた!!!

もう、いったいいくら換金できたのかは忘れたけど、
後にも先にもあんなに札束を抱えての旅行はない。
当然マネーベルトにも入りきらない。

DEUTER(ドイター) セキュリティーマネーベルト

¥1,512
楽天(↑マネーベルトってこういうの。旅行者の必需品)

ラオスの事があったから、
5万円も一気に両替するのは心配だったけど、
バリを出たら日本円が両替できる所はそうそうない。

また、
日本円→(主要通貨の)米ドル→ルピア
に両替すると、その分両替手数料がかかる。
ここは一気に両替した。

5万円分のルピアで2ヶ月旅行できたのが
バリ島→ギリ島→ロンボク島→スンバワ島→フローレス島(リンチャン島)→スラべシ島→ジャワ島→
バリ島
と、2ヶ月インドネシア満喫コースだった。

ルピアはキップみたいに羽が付いていなかった!!!

最初はいつもの節約ぐせで
小出し、小出しに使っていたら
なかなか減らず
スラべシ→ジャワ間の船のグレードは
1番良いお部屋にした星
なかなか良い船旅だったな~♪

しかし、通過が下落するってことは、
その国自体がきな臭くなる。

スラべシをバスで移動中、
ある小さな村の入り口付近に来たとき、
急にバスの速度が遅くなった。

一人の男性が乗ってきた。

インドネシア語で運転手と男性が何らか話した後、
バスの運転手がいくらかその男性にお金を渡した。

すると車掌さんが、
乗客になにか言った後、
皆一斉に窓のカーテンを閉め始めた。
私も慌ててカーテンを閉める。

それまでジェットコースターの如くとばしていたバスが
急にゆっくり進み始める。

どうしたんだろう???

そう思った途端

一人の男性が日本刀の様な長い刀で
バスに向かって切り込みに来た!!!


叫び叫び叫び

その切り込みに来た人や、その他諸々の村人に
運ちゃんからお金を受け取った男性が
バスの中から外に向かって何やら叫んでいる。

周りの乗客を見まわすと
それまでの熱帯的なゆるんだ顔と違って
真剣な表情で乗っている。

ふと、
カーテンの隙間から外を覗いてみた。

目

大人から子供にいたるまで皆ふく面をし、
それぞれの手に凶器が持たれていた。
子供に関しては棒で作ったおもちゃの機関銃をもって
勇んでいた。

そこにいた人達は皆血走っていた。

どーしよう・・・・。
私、インドネシア華僑と思われたら・・・
華僑=外国で暮す中国人)

当時首都のジャカルタではインドネシア華僑は
狙われる格好の的となっていた。
華僑の人々は商売上手で富裕層が多かった。
そんな彼らをねたんだ現地人が華僑を相手に
強盗、強奪、強姦。女性や子供を交えての殺戮。
いわゆるジャカルタ暴動である。

バスは豪邸の前を通過した。
いや、
かつては豪邸だったのだろうけど、
私が見た時は屋根は崩れ落ち、
すべてのガラスは割られ、
真っ白な壁にはめられた窓から
真っ黒い煙が立ち上っている。

私は背筋が凍った。

ジャカルタに行かなきゃ大丈夫だと思っていたのに・・・・

私は慌ててカーテンのすき間をびっちり締め、
もしもの時のために自分が華僑ではない、
日本人であることをアピールするのにパスポートを握りしめた。

しばらくして、
運転手からお金を受け取った男性が降りた。

バスはジェットコースターの様に進み始めた。

運転手からお金を受け取った男性は
きっとあの暴動があった村人で
”通行料を取ったから、手を出すな~!!!”
と叫んでいたんでしょう。

カーテンを開けてみると
静かな熱帯雨林が広がっていた。

座席横の現地人おばちゃんが
蒸かし芋もどきを半分に割って私にくれた。
おばちゃんはにこにこと残り半分のお芋さんをほおばる。
なんだかほっとしたにゃー



おまけ

恐怖のバス体験をし、たどり着いた先は
コーヒー産地で有名なタナトラジャ。

私は早速次の目的地までの情報を調べようと
バススタンドへやってきた。

チケットカウンターのおっちゃんに
英語で話しかけた。

するとおっちゃんは飲んでいるコーヒーの手を止め、
ぽか~んと私を見るではありませんか目

???

何が気になったのかを聞くと
ゆっくりとした口取りで

「I think you era TORAJYA people-.」

つまり、

「アナタは、トラジャ人(現地人)かと思った・・・」

だって・・・。

ま~、現地人だと思った人が
いきなり英語で喋りかけられたら
びっくりするか・・・・。
(当時のインドネシアは荒れていたので、
外国人旅行者はかなり少なかった。)

とりあえず、
華僑には見えなくて良かったDASH!

おまけ2

ドクロご飯中の方スルーしてください!ドクロ

あの頃(98年頃)のラオス北部を走るバスは
別名ゲリラバスと呼ばれていた。

何故、
ゲリラバスと呼ばれるかと言うと、
ゲリラが出てきてバスを襲うからである。

中国から入国した私は、
ゲリラバスに乗るしか交通手段がなかった。

幸いにも運良くゲリラには合わなかったが
あまりの悪路に乗客の殆どが酔ってしまい
ゲリラバスではなく、ゲロバスと化していた。
ひどかった・・・











・・・・


おっと、

最後にもう1つ・・・・

次の経済破綻予想国は・・・

読者が1番知っている国・・・・

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とりあえず、
田舎に行って自給自足の物々交換生活か?
有望な国で貯金するかな???








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