2006年末のある日
福岡でウダウダしていたら

北京にいる友人からデンワが来た
「あしたこっち来れる?」
上海のCMのプロデューサであった彼は

2008年北京オリンピックにからむ撮影をしていたのだが
撮影する商品に問題が生じたので
代替品を日本から持ってくる必要があるらしい

「これはオイシイ🎵」

自分の仕事はもう納めてるし
要は「お使い」である
 

「いーよー」

 

と二つ返事で了解し
翌日の午後には国際お使い完了
都合のいいことに翌日と
翌々日戻りの航空便は満席で
帰りは3日後である

年末の北京はオレのものだ🤣



2006年当時は「古き良き北京」がまだあちこちにあった
紫禁城の周りには古い胡同(フートン)がひしめき
迷路のような路地の街灯は薄暗く
冬に特有の石炭の匂いが街路に漂っていた
 

胡同の迷路を漂い出ると天安門広場
ちょうど国旗降納の時間だった
解放軍の儀仗隊は故宮内から行進でやってくる
この時だけは交通量の多い
天安門前の長安街も通行止めになる

空気は冷え切って乾き
耳たぶが凍ったのかと思うほど寒い
数日前に焼身自殺があったということで
天安門の警備兵の足元には1本ずつ消化器

 

翌朝は早起きして景山公園に登った
紫禁城の背後にある小高い山のある公園
朝日をバックに紫禁城を拝みたければ特等席だ

緯度が高い北京の朝は遅い
8時前でもようやく陽がのぼるくらい
時計を見て
僕は景山を駆け降りた

 

この日もう一つの狙いは
「紫禁城の内廷独占計画」


いま紫禁城の観光ルートは天安門側の午門から入って
北の景山公園側の神武門から出る一方通行
でも2006年当時は神武門側からも入れたのです
観光客の99%は午門から入ってくるので
北の神武門から入るヒトはほぼいない
実際、券売所のおばちゃんは毛布にくるまって寝ていた🤣

 

 

 

入場すると内廷には誰もいない
官僚たちが跋扈する太和殿以南の外廷に対して
北側は皇帝と一族のプライベート空間
その内廷を独り占めしながら
ラストエンペラーの世界に朝っぱらから酔いに酔いました

南下して紫禁城の中心、太和殿
つまり中華世界の中心に至っても
周囲には掃除のスタッフしかいない
 

「オイシイやないかー」

 

と思いつつもあまりの寒さに
 

「なんかコレ凍傷っぽくね?」

てなほどに足先指先がジンジンして
麻痺し始めました
体感であの寒さだったので

氷点下10℃以下になってたんじゃないでしょうか

ちなみに太和殿の玉座の上には軒轅鏡と言われる銅の玉が吊られており
皇帝に相応しくない者が玉座につくと
これが落下して不相応な者のアタマをカチ割ると言われています
1915年 清朝宣統帝の後に帝位を簒奪した袁世凱は
この銅玉が怖くて玉座を後ろに下げたそうです🤣


さて極寒の2006年紫禁城太和殿に戻ります
周囲のお堀が全部凍るぐらいの気温です
 

「ううイカン、これはイカン。低体温だ」

 

意思に反して震えが来るほどになったとき

思い出しました

 

「そういえばスタバあったよね」

 

オリンピック前後に閉店してしまいましたが
なんと2006年当時
故宮乾清宮わきの土産物屋には
西側文明の象徴スタバがあったのです
土産物屋のついでみたいな店でしたが
紛うことなきスタバであります

まだ眠そーなスタッフのお姉ちゃんに
「最大杯咖啡!!(一番デカいコーヒー)」とオーダーして
ようやくあったかいものにありつきました



まだ誰もいない「世界の中心」
紫禁城の片隅で命のスタバをすすりました
もしかしたら人生で一番美味いコーヒーだったかもしれません

 



とりあえずあったまったので南下して紫禁城を脱出します
太和門を出るあたりでようやく観光客連と遭遇しました

 

「もう紫禁城はいい
 早く前門外の屋台饅頭を食わねば凍死だ〜」

結局 食い気🤣🤣🤣