放浪日:2018年3月18日
あもんが“ふと”見つける好きなモノが盛りだくさんある宇和島市を歩いています
歴史的建造物をまた見つけました
歴史的建造物と言っても観光地っぽく無く
普通の普通に暮らしているお宅でしょう
先代から受け継いだお宅で住み続ける
古いから建て替えるのではなく、古いからメンテしながら住み続ける
そんな歴史のある建物が多い宇和島市は良い町だと言えるでしょう
さて、宇和島市と言えば【闘牛】
ということで、【宇和島市営闘牛場】へやって来ました
全国でも珍しいドーム型の闘牛場です
日本での闘牛場の数は少なく珍しいのです
宇和島市では民俗文化として受け継がれています
宇和島地方の闘牛の起源は17世紀後半ごろ
宇和海を漂流していたオランダ船を漁師が救出し
そのお礼で贈られた2頭の牛がたまたま格闘したことだと伝わっています
鎌倉時代に農民が強い農耕牛を作ろうと、野原で牛の角を突き合わせて娯楽にしていたことにより闘牛となったそうです
土俵を設けた本格的な闘牛に進化したのは江戸時代で
興行を重ねるうちに庶民の文化となって行ったのでしょう
大正時代から昭和初期までが庶民の闘牛熱が極めて熱かったらしく
客席には手弁当や一升瓶を持った観客で溢れるぐらいエンターテイメントだったみたいです
昭和23年、動物愛護の観点からGHQに闘牛が禁止されましたが
愛媛、隠岐、越後の闘牛関係者から陳情が繰り返され、2年後に見事に解禁となったそうです
宇和島闘牛の文化は小説などで全国的に知名度があがりましたが
農業の機械化により牛が飼われることが少なくなり衰退へ向かいます
昭和30年を最後に宇和島市の闘牛大会は幕を閉じるようになります
しかし、その4年後、「やっぱり闘牛がなきゃ、おもろうない!」という人が続出
昭和50年に闘牛場を復活させ、定期大会や観光闘牛などが開催されます
現代では闘牛飼育者の減少、後継者不足、国内観光の陰りと不況などでかつての闘牛熱が再燃したとは言えませんが
宇和島市は民俗文化継承として闘牛を続けてくれているのです
時代の流れに乗り、VRを活用中
宇和島市はVRが好きですねw
闘牛ドームで歓迎を受けましたが、見事に中に入れませんでしたw
それもそのはず、この日は闘牛開催日では無かったからですw
あわよくば建物内を見学できるかと思っていました
みなさんは闘牛開催日に合わせて来て観てくださいw
迫熱の激突が観てみたかったです
平日だったらまだチャンスがあったのですねw
にゃんよの戦国武士バージョンを見つけました
こちらの門からはスタンバイ中の闘牛を観察することができます
実はあもんは、昔に家族旅行で宇和島闘牛を観たことがあります
その時の写真を見ながら思い出してみましょう
意外と可愛らしかった闘牛ですw
怖く凶暴なイメージがありますが、普段は大人しいらしいです
顔はけっこうイカツイですw
現代では牛は農耕用に使われること無く、酪農か食用で使われています
闘牛牛は子牛の頃から選ばれて毎日のトレーニングで強い牛に育てられます
飼料も細心の注意のもとに適量を与えられます
戦いの数日前からは減食させ、牛舎から出さず闘争心をかき立てます
マムシ酒、焼酎、ビールなどを飲ませて興奮をあおることもあるそうです
闘牛には相撲と同様に番付けがあります
闘牛では横綱は横綱同士が戦うという同番付の戦いになります
一回出場すると一定期間の休養期間があり、怪我をすると長期間休場となります
負けを続けたり、再起不能のケガをすると数百万円の高額で購入した名牛が一瞬にして廃牛となることもあるそうです
ガツン!ガツン!と本気の戦いの音が響いていました
残酷だという声もありますが、闘うのは本能でもあり
本能のままに生きれる闘牛は幸せ牛なのかもしれません
闘牛は基本、時間無制限です
勝負がつくまで30分以上もかかる取り組みもあります
牛主は高額な金額で牛を購入し、自ら飼育したり、飼育を委託していたり様々です
いずれも闘牛飼育は赤字前提の道楽であり、闘牛をこよなく愛し続けなければ受け継がれない民俗文化であります
この日は野良猫たちが仲良く日向ぼっこでしたw
しっかり太っていて、宇和島市民に愛されているのでしょう
結構、強そうですw
宇和島市では闘猫も愛しているのでしょうか?w
とういことで、続きます