幸と不幸と現実と 50 | あもん ザ・ワールド

あもん ザ・ワールド

君へと届け 元気玉

この物語は『半フィクション』です
どれが現実でどこが妄想なのかは
読み手であるあなたが決めてください
この物語は1996年から1997年の
あもんの記憶の中の情報です
現在の情報とは相違がありますので
ご理解ご了承お願いします



福江島は五島列島最大の大きさで日本国内では11番目の大きさである
人口は1997年の時点で2万8千人弱である
この長崎県の離島が年に一度、熱く燃え上がる時がある
この福江祭りにねぶたが参加することによって祭りは情熱的に熱く燃え上がる


情熱とは人間の内側から発せられるエネルギーのひとつであるが
健康的な食事と十分な睡眠によって作られるエネルギーとは少し違う
情熱的に運動を行えば自分の身体能力を超える力を発し
運動に情熱的な精神を加えれば自分の周りに居る人々に伝わる
そして運動と精神が上手に組み合えば体内に熱い血潮が流れ始め
一心不乱や無我夢中という言葉が自分の身体によって表現し始めるのだ
情熱を燃えあげる着火材は“意志”が成長した“強い意欲”である
強い意欲は日常生活では中々現れない貴重な精神でもある


福江祭りは1957年に市民融和を目的に農漁商工の祭りとして始まった
島民が花魁や侍の仮装をしたり、クジラの山車がお披露目されて
女相撲やのど自慢、漁船パレードなども開催されていたらしい
1977年、祭りの盛り上がりを気にしていた島民がひとつの意志を掲げる
『青森ねぶたを島にもってくるど!!』
この大きな意志は瞬く間に島民に伝わった
遠く離れている青森県との交渉や技術の伝承
お互いに話す言葉だけでも乗り越える壁は高かったであろう
しかし、ひとつの意志は強い意欲に成長していった
見よう見真似で始まったのかもしれないが
強い意志が備わった運動ほど誇らしいものは無い


その誇りがねぶた誘致のまつりを成功させ、今年まで続いている
続いているということは様々な困難を乗り越えているということで
徐々に広がりつつある福江ねぶたが
多くの観光客を呼ぶまでになったという
まさに情熱的な運動と精神である
その情熱は跳人が大きく表現して福江ねぶたを盛り上げている







ねぶた師が魂を注ぎ
囃子が調子を合わせ
跳人が飛び始めた時
ねぶたの目が覚める
豪快かつ繊細なねぶたの表情の先には
燃え尽きるまで跳ねる跳人がいる

ラッセラー ラッセラー ラッセラッセ ラッセラー
ラッセラー ラッセラー ラッセラッセ ラッセラー






あもんはねぶたと再会をした
忘れていた情熱を思い出してくれたねぶた
一心不乱と無我夢中
日常では中々表現のできないこの運動と精神を
思いっきり表現することができるのだ


とはいっても、長崎県離島の小さな島である
ねぶたの規模は青森に比べて可愛らしい
“島らしさ”といえば分りやすいだろう
太鼓も囃子もどこかぎこちなさが感じるが
決して無理をせず、島民による島民のためのねぶだの様な
どこか家族的で暖かみがあるねぶたの様な
妬み憎しみなど一切無く、島民が楽しむだけを考えたねぶたの様な感じである
そんな福江ねぶたの特徴が好きだという跳人は多かった
情熱的なねぶた運行の中でも穏やかな島時間が流れている気がする


あもん達はねぶたが動き出す前にねぶたの後ろで構えていた
するとあるおばちゃんがあもん達に話しかけてきた

『青森からの方ですよね。今日はどうかよろしくお願いいたします』

丁寧に頭を下げるおばちゃんは幼稚園の先生のようで
先生の後ろには数十人の園児が小さなはっぴをを着て並んでいた
福江島の人々にとって“青森ねぶた”を経験している跳人はいわば、プロであり
本場の跳人と一緒に跳ねられるのは嬉しいことのようだ
あもん達は決してプロでも玄人でもないし、そんなつもりは無い
ただ、ねぶたが楽しいから、島で情熱的に跳ねたいからこの島までやってきた
手本になるなんて、とんでもない!と思ったが、そこは悪い気はしなかった
あもん達は『はい。一緒に楽しみましょう!』とちびっ子の前でラッセラーと跳ねた
小さい跳人は見よう見真似で可愛らしくラッセラーと跳ねていた


福江ねぶたの運行ルートは若干の坂道が続く
大声を出し跳ねながら進むのだから徐々に疲れが出てくる
この疲れや足の痛みこそ情熱の着火点であるから
疲れたからとか足が痛いからといって跳ねるのを止めるのはもったいない話である
疲れや痛みに耐え続けていくと、いつしかそれらが無くなる時がある
それが血潮が流れ始めた証拠だ
そこから無我夢中がスタートをする
無我夢中な顔ほど美しいものは無い
汗やつばが飛び散り、顔は理性を失い、声は酒焼け以上に枯れている
しかし、身体全身はしなやかにダイナミックで美しいのである
そして、無我夢中な跳人の前でこそ、ねぶたは光華絢爛と仕上がっていく


無我夢中のタイミングは人それぞれで
ねぶた暦20年と言われている砂糖さんのタイミングは凄く早い
あもんより10歳以上年上のはずだが、ねぶたの時はあもんよりスタミナがある
しかも、砂糖さんは自分が無我夢中になると、他人を無我夢中にさせる能力があるのだ
砂糖さんは福岡からの修学旅行高校生のグループの中にいた
ねぶた自体が初体験である高校生はねぶたの後ろに並ばされて戸惑っていた
それを見かねた砂糖さんはそのグループ内に駆けつけて
それこそプロのような跳人を情熱的に高校生に伝えた
高校生は徐々に跳ね始め、やがて笑顔が多く出てくるようになった
何もかもが楽しい時である高校生がねぶたに食いつかないはずは無い


修学旅行高校生のグループは砂糖さんを中心に無我夢中人になっていった
若いというのは吸収力が早いということで
砂糖さんがリーダーとなって跳ねているのを見て、それを真似る者が現れた
多分、修学旅行高校生のリーダー格であろう
砂糖さんは彼に運動を持ってリーダーのあり方を伝えた
そこに言葉は一切無い
そしてやがて、修学旅行高校生は巣立っていった
砂糖さんが居なくても情熱的な跳人と成長していったのだ
それに気がついた砂糖さんは別れも言わず立ち去った
砂糖さんのまなざしには次なる跳人グループが映っていた
ねぶた暦20年の砂糖さんがかっこよすぎた


大将、ハカセ、いくさん、秀さん、怪しいビジネスマンもあもんと同じように無我夢中になっている
ラッセラー ラッセラー ラッセラッセ ラッセラー
ラッセラー ラッセラー ラッセラッセ ラッセラー







ここには教養も知識も地位も名誉も
そんなちっぽけなものは存在しない
嘘や言い訳や狡さや憎たらしさや
そんなちっぽけなものは全て忘れ
とにかく跳ねろ!叫べ!燃え尽きろ!

ここでは誰も一人ではない
ここでは誰でも一つになれる
名前も顔も知らない隣の跳人たちは
この時仲間となったのは確かだ

跳人が燃え上がると
ねぶたはさらに高揚し美しく
優雅に華麗に地を滑走する
この時の仲間は永遠に仲間なのだ

ラッセラー ラッセラー ラッセラッセ ラッセラー
ラッセラー ラッセラー ラッセラッセ ラッセラー





『やっぱ、ねぶたは最高やな!』
誰もがそんな表情で笑って一日目のねぶた運行は終わった
みんな声は出なくなっており、足を引きずりながらとボロボロであったが
その表情に苦痛は無く、快楽を全身で味わっていた
あもん達は跳人割引をしてくれるという温泉に入った
温泉はまずは騒いでいた血潮を沈ませ、快楽の痛みをゆっくりと癒していった
誰もが無口に空を見上げていた
別に露天風呂ではなかったが無口に空を見上げていた


30分後サカナ組一行は温泉から出て集まっていた
意外にもみんな入浴時間が短かったのは喉が渇いていたからである
今から、第2のねぶたの楽しみである“宴会”が始まる
そこに1台のバスが向かってきていた
○○高校修学旅行御一行とバスには掲げられていた
それをいち早く見つけた砂糖さんはバスに向かって走っていった


『ラッセラー ラッセラー ラッセラッセ ラッセラー』

あもん達は温泉で血潮を沈ませたはずであったがこの人のねぶた血潮は特別らしい
汗を流したはずではあるが、そんな事はプロ跳人には関係ないようだ

『おぉぉぉおおおおお!』



砂糖さんに気づきバスから降りてくる高校生たち
彼らのねぶたはまだ終わっていなかったのだ
ラッセラー ラッセラー ラッセラッセ ラッセラー
ラッセラー ラッセラー ラッセラッセ ラッセラー

先生も不思議と注意をしていない
もしからしたら、先生も一緒に跳ねているかもしれない
ここで、高校生たちに“情熱”というモノが伝わったのは間違いないであろう
学校の授業じゃ決して伝えてくれない“情熱”
もしかしたら、今後、誰も伝えてくれなかったかもしれない
情熱は先生に教わるものではない
先輩から身体を持って伝えてもらい受け取るものなのだ





『おーい砂糖君!ビール飲みに帰るぞ~』
砂糖さんの運動に歯止めをかけたのはビールであった
佐藤さんはねぶたとビールをこよなく愛するプロであった

続く