二重被爆 | あもん ザ・ワールド

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君へと届け 元気玉

2010年8月 記

『うんめい』

運命は待つものではないということ
運命の開拓者は自分であるということ

今日の自分が明日を創るということ
無意識な一歩が運命を創るということ

偶然は必然の積み重ねだということ
過去の積み木で運命を築くということ

運命と手をつなぎ生きるということ
明日の自分が楽しみであるということ

あもん詩集~スナフキンにあこがれて~より


以前に運命という言葉を使いこんな詩を綴ったのだけれど
今ここで、自分の浅はかさを恥じる
運命とはもっともっと深くて重たいものである
あもんはこの本を読み、まず思った




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『ヒロシマ・ナガサキ 二重被爆』
山口彊


彼の年譜を以下に記す

生前
赤ん坊であった兄が母の不注意の為亡くなる

1961年(大正5年)
誕生

小学校2年
自宅にて梁からぶら下がった母の亡骸を見る


1930年(昭和5年)
父の会社が倒産

1934年(昭和9年)
長崎三菱造船株式会社に入社

1943年(昭和18年)
結婚

1944年(昭和19年)
長男誕生


同年
風邪の為、長男死去

1945年(昭和20年)
次男誕生

1945年(昭和20年)
3ヶ月の予定で広島造船所へ出張


1945年(昭和20年)8月6日
爆心地より約3kmの江波で被爆

1945年(昭和20年)8月8日
広島から避難列車に乗り長崎へ帰郷

1945年(昭和20年)8月9日
長崎市で被爆


終戦後
沖縄戦で玉砕された弟の遺骨を受け取る
白木の箱の中身は石ころであった

アメリカ軍の通訳として働く
占領軍撤退後、英語教師として働く
7年後、三菱造船所に復帰


1971年
三菱造船所を定年退職

2005年
60歳になる息子を癌により無くす

2006年 3月
出演したドキュメンタリー映画『二重被爆』が完成


2006年 8月
ニューヨーク国連本部にて核廃絶を訴える

2009年 3月23日
国が山口彊さんの二重被爆を認める

2009年 7月30日
『ヒロシマ・ナガサキ 二重被爆』発行

2010年 1月4日
胃がんの為、死去




運命とは自らが切り開いていくものだと確信していたあもんであったが
この本で山口さんの生き様を知った時
運命とは現実を受け入れることであると思い直した


カルマの法則を浅はかに解釈し
一日一善行動に日々勤めていた
ラッキーとアンラッキーには波長があり
その波をつかみ自分をコントロールしていくのが
賢い生き方なのだろうと誤解をしていた気がする
山口さんはただ単に家族を守るために働いただけである
広島で被爆し命をかけて家族の元へ急いで帰った為に
山口さんは長崎でも被爆をした


山口さんはどんな悪い事をしたのだろう?

子供の頃に母の死を目の当たりにした山口さんは
息子に同じ思いをさせないように必死に生きた
しかし、被爆2世の息子が先立ってしまった


山口さんはどんな悪い事をしたのだろ?

息子の死をきっかけに今まで塞いでいた口を開いた
映画で語り、本で語り、国連本部で語り
二重被爆者の存在を皆に伝えた後
山口さんはこの世を去った







失礼ながらこの本の言葉を頂戴することとする

宿命というものは本当にあるかどうかわからない。しかし、私が生き続けられたのは、やはり私に刻印された「彊」という一字のせいではないかと思う。(天行健なり。君子はもって自ら彊めて息まず。)
どういう状況であっても、人は自分から離れることはできない。だから私は自分が自分であるように努めてきた。その結果、この年まで生きてこれた。


生きている限り、人生は続く。私にとって広島と長崎の被爆は、それ以前とそれ以後の人生を断絶するほどの出来事であったが、同時に私の人生の上での通過点でしかなかった。

痛みはある。辛い記憶もある。しかし、それも通過点でしかない。惨劇は忘れられないが、人は過去に生きるわけにはいかない。人は今にしか生きられないからだ。

あえて忘れるでもなく、しがみつくのでもなく、ただ、いまを必死に生きてきたら、それを指して人は「生命力」があるというのだ。

どんな状況でも目指すものは、自分の胸の内にあった。それが私のこれまでの支えになった。
その目的とは「ただ生きる」ということだ。



あもんは思う
現代の世の中で「生きている」と感じる日はあるのだろうか?
残念ながらあもんには無い
それが平和だと楽天的に考えればそれで終わってしまうものであるが
この山口さんの生き方を知ってあもんは感じた


生きている中で「生きる」と意識して生きていけば
どんな運命であっても受け止める強さが人間にはあって
「生きている」と感じられる日が多い人こそ
「生き抜いた」と言えて亡くなることができるものである
では「生きている」とは何であろうか?
その答えはいたって簡単で
朝に起きてご飯を食べ夜に寝る
家族と語らい友と語らい仕事をして遊ぶ
子供を育て多くを伝え老いていく
ただ、それだけの様な気がして止まない
どんな時代になってもどんな運命が舞い降りてきても
ただただ、生きていけばいい


山口さんはあもんにそう伝えてくれた

あもんには山口さんの年譜につけ加えて欲しい出来事がある

2010年 8月6日
広島平和記念式典にアメリカ駐日大使、国連事務総長が初参列


そして今後、山口さんの年譜に付け加えなければいけない出来事がある

全世界核廃絶

これは、今生きている我々の使命でもある