「平和という言葉を使わなくてもいい本当の平和」、意識しなくとも感じなくとも自然や呼吸と同じ概念になることを願うのでしょう。平和は個人に基準や秩序があり、幸せの基準と同じく個人に委ねられると考えてます。但し他者の尊厳や人権を侵略する行為は例え個人の平和の基準に則っていたとしても罰せられなければなりません。その基準を作る活動をされていると受け取っていますが、戦争体験者から言うと戦後の我々は戦争は対岸の火事と思っていると映り、一般国民にはどこか他人事でしょう。海外で起きている紛争も両者に言い分があり大儀もあるでしょう。そこには平和を作る過程で厭わない犠牲であると考えられていそうで恐怖を感じます。本当の平和とは何かをこれ程深く考えたことはなく、また平和といった概念は膨張しすぎて、「私の考えは正義で、お前の考えは悪だから変えてあげるね、抵抗するなら攻め入りその後平和になってから正義を教えるね」といったエゴにもなりかねないと考えます、宗教紛争です。なにが平和で秩序なのかを今一度考える大きな機会をくださりました。