「なんでもない時に帰ってくるとか言うから、彼女でも連れてくるのかと思ってたのに」
「悪かったな、1人で」
ドキドキして損したわー、なんて言いながら笑っている母さんの後ろに続いてリビングに入る。
キャビネットの上に並べられた家族の写真。そのうちのひとつを手に取った。
「そんなに可愛かったのにねぇ」
「いつの間にか、こんなオッサンだもんな」
背中から聞こえた声に振り返りながらそう言えば、母さんが、どうりで私もおばぁちゃんになるはずよねぇ、なんてケラケラ笑う。
手に取った写真立ての中の俺は、大きなクマのぬいぐるみを抱っこして笑っている。
「この間、『こぐまのまーくん』って、あだ名のやつと会ってさ……」
「あら、懐かしいわね。翔、大好きだったものね、その絵本。毎日毎日、何回も読まされて、母さん、全部覚えちゃったのよ。『ある朝のことです……』って」
「ああ、そうそう。そんな出だしだった」
コーヒーのいい匂いに誘われて、写真を持ったままダイニングの椅子に腰掛けた。
「そのクマもねぇ、探すの大変だったのよ」
コーヒーを置きながら母さんが言葉を止めてふふふ、と笑う。
「まーくんみたいなクマがいいって、何軒もお店を回ったんだから」
「……マジで……」
「そうよー。凄いこだわりようだったんだから。でもそのお陰か、とっても大事にしてたわよね……そういえば、あのクマちゃんどこに行っちゃったのかしら」
「え?」
話が思わぬ方向から知りたかったことにたどり着いて、どきんとした。
「翔が大切にしてたクマちゃんだから、ずっと捨てられずにいたんだけど……どこかへしまいこんじゃったのかしら」
テーブルの上に置いた写真を見つめる。
茶色いふわふわの毛。
大きくて丸い目。
ちょびっとだけ笑っているような、口。
「さすがにもう、ボロくて、捨てたんじゃねぇ?」
なんだか急に、寂しいような悲しいような気持ちになったから、なんでもない事のように言ってみた。
「あのクマだけは、捨てないと思うんだけど……母さんもトシねぇ。どうしたのか全然思い出せないわ」
母さんが手を伸ばして、写真立てを手に取って『ホントに翔は可愛かったわねぇ』なんて言い出したから、居心地が悪くなって立ち上がる。
「俺、ちょっとそのへん散歩してくるわ」
「だったら、ビールと日本酒、買ってきて?父さんが翔と飲むの楽しみにしてたのに、買ってくるの忘れちゃったのよ」
「ん。じゃあ、行ってきます」
財布とスマホだけをズボンのポケットに突っ込んで、どっちへ行こうかと少し悩んでから、いつも遊んでいた公園のある方へと足を向けた。