「師匠。済みません。私、忘れ物を致しましたので、戻ります。では、失礼致します」
手に持っていたお櫃を潤士郎に渡しますと、もと来た道を戻って行きました。
温かいお櫃からは、筍ご飯の良い薫りが致しておりまする。
潤士郎には、和也が気を利かせたと分かりましたけれども、智は、腑に落ちない顔を致し、呟きまする。
「忘れ物って、荷物なんかなんも持ってなかったじゃん」
そののち、潤士郎を見やり、笑みて申しました。
「潤…お帰り」
「あ、ああ、ただいま…って、俺がいない間に何があった?なんで和也が居て、智のこと師匠って呼ぶんだ?!」
「うん。なんか、和、家出て来たんだって。そんで、俺の弟子になりたいって言うから、弟子にした」
「はぁ?!」
「和は、なかなか器用で、筋はいいよ。あっ、でも、筍掘るのはまだまだだけどな」
「もしかして、一緒に暮らしてるのか?」
「うん。弟子だからな。和は、片付けなんかもしてくれて助かってる。…ちょっと、口うるさいけどな」
智、鼻に皺寄せ、おどけた顔を見せました。潤士郎、二人の打ち解けたる気配に、胸騒ぎ覚え、問い掛けまする。
「何か、されなかったか…?」
「ん?何かって?」
その、おぼこ気なる面に、潤士郎は安堵の息を吐きました。
「いや、いい。変なこと訊いて、済まん」
「ん」
「所で、和也のあの髪は…」
「ああ。おいらが切った。髻、面倒じゃん?」
「面倒って…まっ、お前の弟子だから…な」
「ん」
並び歩みながら、互いの息感じ、離れていた月日などなかった如くに、いつの間にやら、心地良く収まってゆくのでございました。
智の家に着き、並んで、縁に腰落ち着けますと、智が申しました。
「いつまで、里に居れる?」
「いつまでも。もう都には帰らん」
「え?追い出されてきたのか?!」
「違う!始めから帰って参るつもりでおった。この里の為に!」
「ふうん。そうか」
智は、満足気に微笑みまする。
「俺は都で、様々な方々にお会いして、縁(えにし)を結んで参った。その人脈を生かし、この里をもっと豊かにしてみせる。
里の物を、もっと都の人に知ってもらうのだ。これからは、智にも、笛や、書など、たんとこさえてもらうことになる」
「ええ…おいら、あんまり忙しくなるのはごめんだぞ」
「まあ、そう申すな。俺もできることは手伝うから」
「いや。いい。潤は不器用だからな」
「不器用で悪かったな」
拗ねる潤士郎を、智は、つれない言葉とは裏腹に、頼もし気に見詰めまする。
「それで、父ちゃんは何て?」
「父上にはまだ話しておらぬ」
「何で?」
「里に着いて、真っ先に智の所に来た」
「なんだそれ。じゃ、まだどうだかわかんないじゃん」
「大丈夫だ。何せ…」
潤士郎が胸に、翔の君のご尊顔浮かびますれど、口に致すは躊躇われ、話逸らしましてございます。
「二、三日、休養致したら、父上や兄上達とも語り合うて、始めるつもりだ…だから、それまでは…」
「なぁ、潤」
「え?」
「そんな先の話より、今、疲れてないか?都から歩いて帰って来たんだろ?
おいら、いつものとこに温泉作ってやる。今晩にでも行こう」
「あ?…ああ」
そうして、夜、月の出を約束に、智、急ぎて川の上流へと去り、潤士郎は、仕方なく自分の邸へと、それぞれ別れたのでございました。