和也は詰め所に戻りますと、灯明皿に火を灯し、潤士郎を前に座らせました。


「悪いことは言わない。帰った方がいい。主様の目的は、あんたを智から引き離して、仲違いさせることにあるんだから」


潤士郎は暫く考え込んでおりましたけれど、瞳を上げますと、まっすぐ和也を見据え、申しました。


「いや、帰らない。ってか、帰れない」

「なんで?!智のことほっといていいのか?!」

「それは、気懸かりだけど…今はまだ、帰れない。
俺はまだ何もしてない…何もできてない。こんなまま帰ったって、結局、俺は智に何も言えないままなんだ。だから、一年…せめて半年、都で学び、苦労して、里の為に働ける男にならなけりゃ、何も始められないんだよ…」


潤士郎の真剣な様子に、和也、ふっと目許を和らげ、申しました。


「始める気なんだ」

「いや…それは…」


僅かに頬染め、口籠りまする潤士郎に、和也が改まった様子で申しました。


「もし…」

「え…?」

「もし、智が、翔の君様と何かあったとしても、智を責めるな…智は悪くない」


潤士郎が耳の奥に、先程の雅紀の艶やかなる声、甦り、その上、瞼の裏に智の面も甦りて、妙な錯覚を起こさせまする。
けれど、それを破ったは、やはり、智のいつもの顔でございました。



少し眠そうな眼で、潤士郎が心を大きく包み込むが如くの、深い慈悲を感ずる、この上ない安らぎを覚える智の顔でございました。
それを思い出すだけで、潤士郎が胸の内は暖こうなり、不安に揺れる気持ちは定まりて、小さき笑みも漏れる程になりましてございます。


「何が…おかしい」

「あっ…いや。もし仮に、そんなことがあったとしても、智が智である限り俺らは何も変わらない。俺の大事な…変な申しようだが、年嵩の弟のようなものなのだ。智は。それだけの絆を培ってきた。俺にとって、かけがえのない者なんだ。だからこそ、里を出て、己を成長させる為に翔の君様について来たのだ。俺らの、これからの為に」


潤士郎が瞳は燃えておりました。己の行く末をしっかと見通し、その為に今を生きようとしておりました。その志の前には、小さな過ちなど、何の障りにもならぬのだと、和也は思いました。



「そうか…。分かった。じゃ、がんばれよ」

「ありがとう。和也様は、今後、どうされるのですか?」

「俺?俺は、ここ出てく」

「出て、どこへ行かれるのですか?」

「そうだなぁ…。ひとつ、行く当てがあるには、ある。置いてもらえるかは、まだ分からないんだけどね。
取り敢えず、俺も、新しい所でがんばってみるわ」


二人の眼は彼方を見詰め、決意も新たに輝いておりました。