望月─都─


望月の先の宵に雅紀が正気を失い、邸中が浮き足立っておりました。

邸の一角では、僧らを呼びて、加持祈祷をさせる者在り、女房らは、部屋にて、涙しつつ過ごしおりました。



そして、雅紀の床の周りで護摩を焚き、そのにおいに依って、憑きものを落とすと申す者が出て参りました。



「待ってくれ!そんなことをしても無駄だ!やめてくれ!」


そう申すは、和也にございました。


「何故じゃ。雅紀にはお物の怪が憑いておるのじゃ。それ故、目を開けぬのじゃ」

「違う!そうじゃないんだよ!そんなことしても逆効果なんだって!」

「逆じゃと?!」

「そうだよ。そんなことしたら、せっかく残ってる翔の君様の薫りが消えちゃうよ…そうだ!どうせ焚くなら、翔の君様の香を焚いてよ」

「主様の?!」

「雅紀の倒れた理由はわかってんだ…」

「真か!」

「俺が一番、こいつのことわかってるんだよ。俺の言う通りにしてよ。お願いだから」

「しかし…そのようなこと、利くのかのう」

「大丈夫だって」

「主様のいらっしゃらない時に、困ったことよ…お戻りになられるまでに目覚めねば、何とすれば良いのか…」

「大丈夫…大丈夫だから!俺に考えがあるんだ。任せてよ…あっ、それから、加持祈祷も止(や)めてもらってよ。俺が戻るまで、翔の君様の香を焚いて、見守っててよ。ねっ?」



周りの者らは大いに困惑致しましたけれども、和也の確信めいた口振りに、次第に心傾き、終(つい)には、それに従うこととなりました。




雅紀を残し、和也は床山の許へやって参りました。


「ねぇ。お願いがあんだけど」

「何だい?それより、いいのか?付いててやらなくて」

「だから来たんだよ。俺に、髻(もとどり)造ってよ」

「はあ?!何を申す。和也はまだ元服前だろう。それに、主様のお許しを得ずにそのような…」

「いいから!責任は俺が取るよ。床山さんには迷惑かけないから!」

「しかしだな…」

「一刻を争うんだ!お願いします!この通り!」


和也が真剣な有様に、こちらも、その通りにしてやるのでございました。


長い髪を落とし、結い上げ、烏帽子を着け、首から上は、大人の装いにございます。




そして、次に参ったは、翔の君のお召し物を預かる者の許でございました。ここでも、和也が願いは聞き入れられ、翔の君の衣冠を着け、和也は雅紀の許へと、戻って参ったのでございます。


戻った和也を見た者らは、皆、一様に驚きましたけれども、その姿の凛々しく、また、瞳の内の決意を目の当たりに、もう、何も申す者はおりませんでした。



「みんな、悪いけどさ、二人きりにしてくれないかな…」


皆、黙りて、従いましてございます。




雅紀は、もう夕暮れだと申しますのに、未だ目覚める気色(けしき)はございません。