秋の風情

里の田も、稲の穂の頭(こうべ)を重う垂れる様子となり、智は、あちらの田、こちらの田と、日々手伝いに駆り出される時節となりましたが、潤士郎は里に居りました。

都からの迎えを、待ちわびて過ごし居りましてございます。


もう、この頃では、智の心持ちも落ち着いて、反対に慰めてやる程にございました折、とうとう、都より車が参ったのでございます。それも、翔の君、直々のお出ましにございました。


翔の君の申されますには、

「秋の風情も楽しみとうなった由、暫時、滞在致す」

とのことにございました。


そして、翔の君はご自身のお相手にと、潤士郎と、智をご所望なされ、二人が里をご案内致すことと相成りました。





ある日には、山へお出向きになり、春、見事に咲き誇っていた山桜の、今、紅葉(こうよう)の美しさに、翔の君もご満足なされたご様子でした。




ある日には、里にお出ましになられまして、里人が忙しく働く田の様子を御覧あそばして、金色(こんじき)に輝く稲穂が、風になびく様を頼もしと思し召され、もったいなくも笛の調べをご披露下さり、里人も、大いに感謝致しました。




また、ある日には、智が釣りが上手とお聞きになられ、川の上流へ三人で向かわれることとなりました。

智は、久方ぶりの釣りに顔を緩め、お手製の竿と仕掛けを持って、勇んで出掛けました。



智は、水干の裾際まで水に入りて竿を垂れ、小手先にて仕掛けを操りますと、澄んだ川面に飛沫(しぶき)の立ちて、活きの良い岩魚(いわな)などが見えますと、智も、潤士郎も、童(わらわ)の如くに声を上げ、魚をつかみては、翔の君に御覧に入れまする。


「どうでございますか?私が申した通り、智は、釣りも名人なのでございます」

「ほんに。この様に魚を獲るのだな」


翔の君は驚かれたご様子にて、双の眼(まなこ)を大きく為されました。


「美しい魚よの」

そう申されて、お手を伸ばされた折、智の手の内の魚が大きく跳ねました。

「おわっ!!」

これには、君も我知らず大声を出され、智も潤士郎も驚きましたが、潤士郎は心配気に君に寄り添い、智は朗らかに声を立てて笑いました。


「智、失礼だぞ!」


潤士郎はたしなめましたけれど、翔の君は、ご自身も何やら可笑しくお思いになられて、「よいよい」と、お手振り為され、智と共にお笑いになり、ついには、潤士郎も堪えきれなくなったのでございました。




秋の澄んだ空と、山間の清涼なる風と、何のわだかまりもない若人らの笑い声と。



皆がこの上なく心地良く、翔の君は、生涯、忘れ得ぬ一日を、お過ごしになられたのでございます。




そしてまた、智に対する執着も、お深めになっていらっしゃいました。
ただ、それにはやはりこの男、潤士郎の存在が気懸かりになるのでございました。