稚児

その日の夜、母屋にて、国司とその子息らが、翔の君を、できる限りの膳を以ってもてなしていた、その時刻、手桶に清水を張り、そこに幾つかの薬草を挿して、智が国司の邸へ戻って参りました。


智は中に声も掛けず台所へ向かい、薬草をざるに入れ替えると、ある草は清水で煎じ、ある草は引き潰し、またある草は汁を絞って布を浸しました。

そして、家の者に怪我人の在りかを問うと、作った薬を携え、案内(あない)も請わず庭を進み、離れの濡れ縁へと、やって参ったのでございます。




中では、雅紀と和也が、膳を頂きながら話しておりました。

「なんかごめん。俺のせいで都に帰んの遅くなっちゃって」

「別に。いいですよ。雅紀が悪いわけじゃないですから」

「和也、怒ってるでしょ…」

「怒ってません」

「ほら。その言い方が怒ってる!」

「しつこいな…怒ってないって言ってるでしょって!」

「だって和也、桜見物から帰ったら、決めたことがあったんでしょ?」

雅紀は涙で声を滲ませて、下を向いてしまいました。

「ああ…まっ、確かに帰ったらって話したけど、別にいいんだよ。今日が明日、明日が一月後になったってね。俺の気持ちは変わんないんだから」

和也は何でもない顔をして、筍ご飯を頬張りました。

「ねえ、本当に、翔の君様にお暇を頂くの?」

顔を上げた雅紀の目から、大粒の涙が、玉となって零れ落ちました。

「俺ら、ずっと一緒に居たじゃん!とうが立って、稚児のお勤めが無理になっても、ずっと翔の君様にお仕えしていこうよ!二人で!一緒に!!」


和也は、幼子を見る様な目付きをして雅紀を見やり、小さく首を横に振りました。

「和也は翔の君様のこと、好きじゃないの?!」

またしても和也は首を横にします。

「雅紀、もうそれ以上言うな…辛くなるだけだ」

下を向いて、飯を頬張る和也に、雅紀が顔を蒼くしました。

「ごめん…そうだよね。俺なんかが好きとか言っちゃいけないお方なんだよね」

素直な雅紀は、はらはらと涙を零し、衣を濡らしました。



その前で、平気な様子を装い、和也は食べ続けております。されど、その胸中は千々に乱れておりました。



翔の君様、あの麗しく、気高く、また、お優しいあのお方を、お慕い申し上げない者など居まい。
その上、ご身分のあるお方だ。良き縁談は降る程に。今はその気がないなどと申されて済ませておいでだが、いずれは然るべき奥方を娶られ、子を成さねばならぬお身の上。

俺は嫌だ。耐えられない。女子(おなご)の許へ通う翔の君様をお見送りすることなど、出来はしない。
雅紀が寝所に召されるのさえ、心苦しゅうて、ひと時も眠れぬというに…。


和也、心そこに至りて雅紀を見やれば、僅かに苦し気な息をして、昼間受けた矢傷を押さえおりました。


「どうした?!痛むのか?!」

「うん…ごめん…」


弱々しく申した雅紀の体が、はたり、と、床に崩れました。

「雅紀?!しっかりしろ!」

にじり寄り、その身に触れますと熱く、和也は、翔の君をお連れ致そうと戸を開け放ちました。