「待って、鍵。鍵、開けるから」
繋がれたままの手の意味は分からなかったから考えなかった。だけど恋愛のそれでは無い事だけは確かで、だからオレが逃げないようになんだろうなと思う。そんな事しないのに。
「おじゃましまーす」
誰も居ないと言ったのに。手こずりながらオレが開けた玄関に入ったニノが家中に響くくらいの声でそう言ってから、オレの方を向いて歯を見せて笑った。
「ふふ、声でかすぎ。それに誰もいないってば」
そんなニノがおかしくて思わずつられて笑った。デカすぎる声も笑う姿も、いつものニノらしくない。静かに淡々と、そして飄々としている事が多い人だからそのギャップにやられてしまった。
「良かった。笑った」
「え?」
「相葉くんは笑ってるのがイイよ」
さ、話し聞きますか。と、普段通りに戻ったニノがオレの部屋のベッドに座った。
「だと思った」
ニノの勘がいいだけの話じゃないのは分かっているけど、それにしても結構バレバレだったらしい。相手が相手だけに、車の持ち主の名前だけは知らないフリをして伏せたけど、それ以外の事の大体の事は話してしまった。
「引いた?」
「なんで?引いて欲しいの?」
「そうじゃないけどさ」
聞いてもらって正直スッキリした。何も解決はしてないし、さっき見てしまったショッキングな光景は消えないけど。
「だってさ、相葉くん、お隣さん引っ越してきてからなんか違ったもん。最初は気のせいかなって思ったけどね。本気で彼女出来たのかなとか思ったりもしたけどさ。でも、出てくる名前ってお隣のばっかりだったし」
女の子の名前なんて全然だし、と言う。そんなつもり無かったのに。意識的に避けていたつもりは無いけど、それでもなるべくしょーちゃんの事ばかりを話さないようにはしていたんだけど。
「マジか。そんな言ってた?」
「まぁね。ってウソウソ。おれだからじゃない?って、おれにしか言ってないじゃん?」
確かにそう。ニノ以外にしょーちゃんの話をしたことは無い。クラスのやつにも部活のやつにも。
「そりゃ、ニノにしか言ってないけどさ。気を付けてたんだけどなぁ」
「まぁ、いいじゃん。おれなんだから」
「ん。だね」
家が近くて学校も一緒。深い詮索をされたことは今までにどんなジャンルにしてもないけれど、オレのことなら大体のことを知っているし分かっているのは間違いなくニノだと思う。
「で、その、しょーちゃんの事はどうするわけ?その車の人の事聞いてみないの?」
「ん……どうしよ」
「悩む?おれなら100パー聞くけどね」
「マジ?怖くない?」
「怖いけどさ、気持ち悪い方が嫌かな。何か理由があるのかもしれないし。会っただけで何かが起きるとも限らないじゃん」
そう言って座っていたベッドに倒れる様にして横になった。そしてベッドのすぐの床に座っていたオレの顔のすぐそばにニノの顔が近付いた。
「おれなら、そんな誤解されるような事しないのに」
息がかかるくらいの距離にあるニノの顔がオレの方を向いている。いつになく真剣に見える表情とベッドに横になっている姿勢が酷くアンバランスなのに、それをしているのがニノだと思うと何故か納得だった。
今まで一緒にいて、こんな事をされたことなんて一度もない。
「ニノ?」
オレの頬に向かって伸びたニノの手の動きがすごくゆっくりに見えた。
「ダメじゃん」
あと少し。数センチ。いや、もしかしたら数ミリかもしれない。唇に掛るニノの言葉はオレの何かを否定した。
「……え?」
「このままだと、おれにキスされちゃうよ?いいの?」
そう言われて初めてその事に気が付いた。これだけ近い距離なのに、まさかニノとそんなことがあるなんて考えたことも無かったから。
「……キス?」
「それ以外の何さ」
言われて答えられない。この状況の全てはそれ以外に無いんだから。
「冗談なんでしょ?いつもの、ほら」
「冗談……じゃないならしていいの?」
「いや、それなら、って、え?いや、違……」
「おれが相葉くんの事本気ならキスしていいの?」
近い距離のまま、真剣な目もそのまま。頬にあるニノの暖かい手もまだその場所にある。嫌じゃないから退けられないのか、どける必要を感じていないからなのか。自分でも分からない。
「……好きなの?オレのこと」
「好きだよ。気づかない方がおかしいって」
「え、いや、えっと……、オレ男だよ?」
ニノのお得意の冗談かもしれない、切れ者故にそう言うのが上手いから。なんて本当はそんなこと思ってない。長く一緒にいて、この手の冗談を言われた事は一度も無いんだから。
「〝しょーちゃん〟だって男だよ?ならおれも勝負かけてもいいって事だよね?」
まだ頬にあるニノの手に少しだけ力が入った。
「ねぇ」
あぁ、もう触れる。ニノの事を拒絶する理由は無い。
「本気出してもいい?」
ニノが体を少し起こしたのと同時に、ベッドが一度だけ小さく軋んで音を立てた。