家族の中で煙草を吸う人はいない。
生まれた時からそんな環境だった。
だからなのか街中ですれ違う煙草の匂いが嫌いだった。身体に染み付くようなその匂いは、嫌悪感しか無くて。だからきっと自分には一生縁のない物だと、そう思っていたのに。
「思ったより平気」
綺麗な指先にあった吸いかけの煙草をオレが取ることをしょーちゃんは拒否しなかった。
「やめとけ。体に良くない」
だけどそう言って、一口だけしか吸わせずにオレの手から煙草を取ってまた自分の指先に戻した。
「だね。平気だけど美味くは無いや」
「そんなもんだ」
「でも、吸うの?」
「なんでだろうな。自分でもわかんねぇや」
開けた窓からは月がよく見えた。月の見える時間に部屋の中でしょーちゃんの隣にいることが不思議だった。
「あの人も吸ったの?」
「……ん。同じやつね」
「ふーん。……やっぱりオレも吸おうかな」
「やめとけやめとけ。金はかかるし体に悪い。いい事なんて無いから。ってそもそもお前未成年だろ」
「そうだけどさ。ってしょーちゃんだってやってたでしょ」
「何の話だよ」
「酒と煙草の話。だってどっちもめちゃくちゃ慣れて見えるもん」
そのどちらもがしょーちゃんには凄く似合う。酒と煙草が似合うなんて表現としては変かな。でも、凄く似合っている。自分がそれをできない子供である事が情けなく思えるくらいに。
「だけどアイツはちゃんと守ってたよ」
「アイツって、松潤?」
「うわ、名前言うなよ。なんかリアルじゃん、急に」
「ダメだった?ごめん」
「はは、嘘嘘。別にいいよ。潤はね、自分の立場をちゃんとわかるやつだったよ。だから俺が飲もうが吸おうが自分はハタチになるまでは絶対やらない。そんな意志の強さが魅力的に見えたのかもな」
しょーちゃんの口から、潤、という名前を初めて聞いた。オレの言葉にリアルだとしょーちゃんは言ったけど、それは間違いなくこっちのセリフ。
「ほんとに良いの?」
「何が?」
「別れのこと」
嫌いになって別れたならともかく、まだ好きでしょ?会いたいと思うでしょ?今の話し方だって凄く優しい。
「あっちはダメかもな。すっげぇ泣いてたから。今日の生放送はやばいかもね」
「しょーちゃんは?」
「俺は平気。ってそれはそれで酷い話だよな。でも付き合う時から別れがあるって理解してたから。半年くらい前かな。結婚の話がちゃんと決まったって聞いてさ。その時から準備出来てたっていうか」
だからアイツがあんなに泣くなんて思わなかったんだ、ってしょーちゃんがものすごく悲しそうな顔をする。離れる決意を固めたしょーちゃんがあの雨の日に誰に見られるかも分からない場所でしたキスは、最後だという思いからだったんだと今知った。
「離れる準備のこと、アイツにもちゃんと言ってあげればよかった」
それだけが後悔だと、揺れる煙を見ながらそう言ったしょーちゃんの腰をオレが隣で抱いたのは
「……くっ……」
そうしないと、涙を流し始めたしょーちゃんがその場に崩れそうだったから、だったんだよ。
それからしょーちゃんは自分の事をひたすらに責めた。自分があの時に付き合う事を了承したばかりに今、あの人にこんな思いをさせてしまっているんだと泣きながら。
「そんな事ないよ」
そんなありきたりな言葉しか言えないオレに出来たのは、崩れそうなしょーちゃんを支えてあげる事と最後まで吸うことが出来なかった煙草を消してあげることだけ。
「しょーちゃんのせいじゃないよ」
しょーちゃんが自分を責めれば責めるほど、どれだけあの人の事をしょーちゃんが大切に思っていたのかが分かってしまって、本当はものすごく切なかった。
「昨日はごめん」
同じベッドの中で目が覚めた。目が覚めてすぐに、オレより先に起きていたらしいしょーちゃんが必要なんてないのに謝りの言葉を口にした。
「オレは全然。しょーちゃんは大丈夫?」
泣き続けるしょーちゃんの事を放って置くことが出来なかった。宥めるわけでもなく、ただ寄り添う事しか出来ないのは自分でも分かっていた。それでも離れるわけにはいかないと思って、同じベッドの中でしょーちゃんの事を抱きしめて眠ったのが深夜を回ってすぐくらいだったと思う。
「泣きすぎて疲れた」
真顔でそう応えるしょーちゃんを目の前に、昨日あんなことがあったのに、心臓がうるさい。
「また泣くなら付き合うから」
心臓の音を気付かれたくなくてしょーちゃんから視線を逸らす。だけど目の前すぎる存在にどうしても心臓は激しい。
「一生分泣いたからな」
「一生って。……少しはスッキリできた?」
「ん。それは相当」
確かに声が明るい。きっとその表情も明るいんだと思う。だけど今直視はちょっと。
「ありがとな、雅紀」
お礼にチューしてやる、ってしょーちゃんの言葉は冗談かと思ったのに、頬に触れるしょーちゃんの手にめちゃくちゃドキドキする。頬にだってキスには変わりなくて、オレ的にかなりやばい。
「んー」
やばい!キスされる!頬にだけど!そう思うとほんとにやばいくらいに心臓が跳ねて、あまりに一瞬のうちにきた緊張に目もギュッとつぶってしまった。
「……え?」
「お礼」
唇にされたキスはオレのファーストキス。昨日まで恋人がいた人からの、愛とか恋とか関係の無いキス。
「ありがとな、雅紀」
それがわかっていても、感情はしょーちゃんのことが好きで好きで仕方がないと言っている。
「反則でしょ」
しょーちゃんはオレがしょーちゃんの事を好きだと知っている。絶対。それなのにキスをするのは自分が寂しいからなのか。それとも。
「待てる?」
「……なにが?」
「もう少し待っててよ」
失恋した相手に付け入るようなことをオレはしない。しなくない。
「待つよ。いつまででも待つから」
だけどしょーちゃんからなら話は別。全く別。
「ん。サンキュ」
これからオレは、しょーちゃんがの気持ちが落ち着いてオレに傾いてくれる日が一日でも早く来ることを指折り数えるんだと思う。