今日は雨。

 

最近、雨の日が多いなぁと思う。

昔は、やさしく降る雨の音が好きだった。

 

窓の外から聞こえてくる雨音を、なんとなくぼんやり聞きながら過ごす時間。
静かで、少し落ち着く感じがして、雨の日もそれほど嫌いじゃなかった。

でも、最近はちょっと違う。

 

「線状降水帯が発生するかもしれません」

そんな言葉を聞くことが増えた。

 

今日も、そんな話を耳にして、
「雨かぁ」と思うだけでは済まなくなったな、と感じた。

昔なら、雨音を聞きながら
「今日はゆっくり過ごそう」なんて思っていたのに。

 

今は、
「大丈夫かな」
「ひどくならないかな」
と、少し身構えてしまう。

 

同じ雨なのに。

雨そのものが変わったのか、
それとも、私たちが雨を見る目が変わったのか。

たぶん、どちらもあるのかもしれない。

 

雨の音を好きだった気持ちは、今もどこかに残っている。

だからこそ、穏やかな雨の日には、
「昔はこの音、好きだったな」
と思い出す。

 

ただ、雨が降るたびに不安になるような時代にはなってほしくないな、とも思う。

できれば雨には、昔みたいに
ただ静かに降っていてほしい。

そんなことを思った、今日の雨の日でした。

 

今日は何気なく、しまってあったアルバムを手に取ってみました。

 

ページをめくるたびに現れるのは、小さい頃の夏休みの思い出。

最初の一枚を見た瞬間、時間が一気に巻き戻されたような気持ちになりました。

真っ黒に日焼けした顔で笑っている自分。

虫取り網を片手に得意そうな表情をしている写真。

スイカを頬張って種を飛ばして遊んでいたこと。

花火を手にして少し怖がりながらも笑っている姿など。

 

 

写真には、その瞬間だけではなく、その日の空気や匂い。

この日こんなことがあったな。

このあと転んで痛かった。

この服、お気に入ってて毎日のように着ていた。

思い出が次から次へとあふれてきて、一人でアルバムを見ているのに、気づけば笑っている。

子どもの頃の夏休みは、本当に毎日が特別。

 

朝起きたらすぐ外へ飛び出して、友達と約束なんてしなくても自然と集まって遊ぶ。

虫取り、川遊び、自転車、かくれんぼ、夕方まで夢中になって遊び続ける。

 

あの頃は、それが当たり前の日常。

 

大人になった今は、毎日時間に追われることも多く、気づけば季節が過ぎていく。

アルバムを開いて昔の自分に出会う時間は、とてもいい感じ。

 

素直になれる。

 

子どもの頃の思い出は、過去の出来事ではなく、今の自分を支えてくれている大切な宝物かな。

 

スマートフォンの中でも写真が増えていくけども、紙のアルバムにはまた違った温かさがある。

ページを一枚ずつめくるたびに、その頃の思い出をゆっくり味わえる。

デジタルでは感じられないぬくもりが、そこにはある気がしますね。

 

何か紙特有の映像なのか、懐かしくて笑ってしまう写真、少し照れくさい写真、思わず胸が熱くなる写真。

そんな一枚一枚が、あの頃の自分や当時の風景を引き込んでくれるもの。その時々でいろんな心境や感情を作ってくれる

 

 

「暑いですね。」

 

今では、誰かと顔を合わせれば自然と口から出る言葉になった。

 

昔も夏は暑かった。

子どもの頃の記憶をだと、照りつける太陽の下で夢中になって遊んだり、汗だくになって家へ帰ると、冷えた麦茶が何よりのごちそう。

 

今からじゃ、想像できないが砂糖を入れて飲むのは普通だったような…(笑)

 

扇風機の前で「あー」と声を出して笑ったり、夕方になると少しだけ風が涼しく感じられたり。

暑さの中にも、どこか季節を楽しむ余裕があったように思うけどね。

 

けれど今は、その頃とは全然違うな。

 

玄関のドアを開けた瞬間に押し寄せる熱気。

まるで巨大なドライヤーの風を全身で受けているような感覚になるし、朝だから少しは涼しいだろうという期待も、あっさり裏切られる。

 

空を見上げれば雲ひとつない青空なのに、その美しさを楽しむより先に、「今日は何度まで上がるのだろう」と心配してしまう。

夏を楽しむ前に、まず身を守ることを考えなければならない。

 

そんな季節になってしまったな!

 

毎日のようにニュースでは「危険な暑さ」「熱中症警戒アラート」という言葉が流れ、気温は体温を超える数字が珍しくなくなった。

先日も、熱中症に関する記事を目にした。

 

暑さは誰にでも平等に降り注ぐけど、その影響は決して平等でない。

 

体力のある人も、高齢の方も、小さな子どもも、屋外で働く人も、室内にいる人でさえ、油断すれば熱中症になって、毎日テレビでも1日やっている。天気番組で終わってしまうようだ。

 

「まだ大丈夫。」

その一言が、一番危ないのかもしれない。

 

人の体は不思議なもので、少しずつ環境に慣れてしまうし、暑さにも慣れたような気になり、疲れにも鈍くなる。

だから、自分でも気づかないうちに限界を超えてしまうことが怖い。

 

喉が渇いたと感じた時には、もう水分不足が始まっているともよく耳にします。

「あと少しだけ頑張ろう。」

その「あと少し」が積み重なって、突然体が悲鳴を上げるでしょうね。

 

無理というものは、自分では案外わからないし、だからこそ、休むことを意識しなければならないな。

 

昔は「根性」という言葉が美徳だった。

暑くても頑張る。

汗を流して働く。

多少の無理は当たり前。

そんな価値観が確かにあったけども、

 

この暑さだけは気合いではどうにもならない。

 

 

自然を相手に精神論は通用しないくらい暑い。

 

エアコンを使うことも、日陰を探して歩くことも、冷たい飲み物を持ち歩くことも、死活問題になっているよ。

暑さを我慢することが立派なのではない。

元気で家へ帰ることのほうが、ずっと大切。

 

だんだんと、そんな当たり前のことが少しずつ身に染みるようになった。

若い頃は多少無茶をしても何とかなったけどね。

 

寝れば回復したし、一晩眠れば翌日には元気だったし。

 

でも今は違うね。

 

疲れは少しずつ積み重なり、体は正直に反応するから、

自分の体の声を聞くことも、後々のことを考えると大事になったのかな。

 

 

 

水はちゃんと飲んでいるか?

帽子は持ったか。

日陰のある道を歩けそうか。

ほんの少し前までは考えもしなかったことが、今では日常になっている。

 

暮らし方そのものが、暑さに合わせて変わってきたししょうがないね。

 

 

春には花を眺め、秋には紅葉を楽しみ、冬には温かい食べ物にほっとする。

そして夏には、暑さと向き合いながら過ごしていく。

自然を変えることはできない。

 

毎年毎年このようなことだからな。

 

 

とにかく面倒だけど、

こまめに水分をとる。

しっかり食べる。

よく眠る。

疲れたら休む。

 

 

 

でも、その積み重ねが、今日を無事に終えるための大切な一日。

今年の夏も、まだ終わりそうにない。

だから焦らず、無理をせず、一日一日を丁寧に過ごしていこうか!