昔の恩師ヴェラ・ゴルノスタエヴァ先生の訃報を
Facebookで知りました。
85歳でした。
最近はすっかりご無沙汰してしまっていましたが、
先生のことを思い出してみようと思います。
私が先生に初めてお目にかかったのは、
今から20年以上前のこと。
場所はなんとシチリアのパレルモでした。
ロンドン時代最後の頃、
大学も卒業して、駐在員のお子さんたちを出稽古しながら、
ヨーロッパ各地(主にイタリア)のコンクールを受けていました。
その時もシチリアの中部で開催されたコンクールので、
たまたま聴きに来ていた現地の学生のグループに出会い、
彼らと仲良くなるうちに、パレルモに来ないか、と言われました。
今、モスクワからすごい先生が来ているから、紹介するよと。
彼らは先生の滞在されてるホテルに私にも部屋を取ってくれて、
翌日のレッスンに連れて行ってくれました。
宮殿の広間で行われていた公開レッスンは、衝撃的でした。
ロシア奏法は初めてではありませんでした。
音大で師事した先生もロシア人でしたから。
でもカンツォーネの国イタリアの生徒が自由に弾くのを、
ネイガウス直系のヴェラ先生がお話を交えながら、
次々と演奏して見せている。
なんだかよくわからないが、とにかくすごい!
私に今必要なのはこれだ!と直感しました。
すぐに別の部屋で、先生の娘でアシスタントを勤めるクセーニャ先生に
私の演奏を聞いてもらい、入門を許されました。
ロンドンに一旦戻り、次のレッスンはミュンヘンでありました。
一週間ほど、ドイツ各地やパレルモから集まった生徒たちが、
集中してレッスンを受けます。
先生は英語を話されないので、ロシア語かドイツ語でした。
私も昔かじった片言のドイツ語で、
先生のお言葉と音楽を聞き漏らすまいと、必死でした。
そんなレッスンが定期的に年に何度かあり、
夏にはフランスのトゥールという町で夏期講習もありました。
先生は特にショパン、シューマンなどのロマン派と、
ラフマニノフ、チャイコフスキーなどのロシア派がお得意でした。
バッハのイギリス組曲、ショスタコーヴィチの24のプレリュード、
ショパンのマズルカやバラード、幻想ポロネーズ、など、
先生に教わった曲は今でも私の宝物です。
初めてお会いしてから一年が経ち、コンクールで入賞できた時も、
先生は大変喜んで下さいました。
そのうち私がロンドンから日本へ帰国する決意を固めたのも、
先生がその頃から日本にも度々いらしていて、
ヤマハで教えたり、NHKのテレビ番組に出演されたり、
東京でもお会いできるだろうと思ったからです。

帰国早々、先生に会いに、目黒のヤマハへ行きました。
パレルモと正反対の「関係者以外立入禁止」の雰囲気も気にせず、
よく図々しく乗り込んで行ったものです。(笑)
世間知らずというか、若気の至りというか・・・
先生が「私の生徒!」とハグして下されば怖いものなし、
みたいなノリでした。
そうして先生の義理の息子、クセーニャの夫、リトアニア人の
ペアトラス・ゲニューシャス先生のレッスン通訳(英語)を仰せつかり、
目黒に通う日々が始まりました。
そのうちマスタークラスの講師として、先生のお留守の間、
生徒たちのレッスンをするようになりました。
少人数でしたが才能ある子供達ばかりで、
彼ら彼女らは皆、演奏家として今、立派にキャリアを歩んでいます。
コンチェルトを弾く生徒の伴奏で、先生のお隣りで弾くこともあり。
また生徒のレッスンを聴講していると、先生が弾かれる時に、
「ヨーコサン!」と呼ばれて、譜めくりを頼まれたりしました。
私にはあまりにも偉大な先生で、お側に寄るだけで緊張しましたが、
先生はいつも深い愛情と雄大な音楽で接して下さいました。
お昼休みにはロシア語の通訳の方を通してプライベートの話もあり、
特に私の結婚や出産を大変祝福して下さりました。
ネイガウスの愛弟子として演奏家としても活躍し、
モスクワ音楽院で大勢のピアニストを育て上げたヴェラ先生。
ディーナ・ヨッフェやポゴレリッチの東京での演奏会に
先生のお供をさせて頂いたのも、想い出の一つです。
最後にお目にかかったのは、いつのことでしょうか?
かなり前ですが、今となってはよく思い出せません。
それが最後になるなんて予想していなかったからでしょう。
最近はご高齢で引退されていらしたようですから、
最後に来日されたのもいつだったのか・・・。
お孫さんのルーカス・ゲニューシャスは若手ピアニストとして、
ヴェラ先生の跡を立派に継いでいます。
今後は彼の演奏活動を楽しみにしたいものです。
今、改めてFacebookでヴェラ先生の様々な演奏を聴いていると、
本当に先生のお人柄が思い出されて、涙が止まりません。
恐らく世界中で先生を偲んでいる生徒が大勢いることでしょう。
感謝と尊敬と愛を込めて。
ご冥福をお祈りいたします。。

Facebookで知りました。
85歳でした。
最近はすっかりご無沙汰してしまっていましたが、
先生のことを思い出してみようと思います。
私が先生に初めてお目にかかったのは、
今から20年以上前のこと。
場所はなんとシチリアのパレルモでした。
ロンドン時代最後の頃、
大学も卒業して、駐在員のお子さんたちを出稽古しながら、
ヨーロッパ各地(主にイタリア)のコンクールを受けていました。
その時もシチリアの中部で開催されたコンクールので、
たまたま聴きに来ていた現地の学生のグループに出会い、
彼らと仲良くなるうちに、パレルモに来ないか、と言われました。
今、モスクワからすごい先生が来ているから、紹介するよと。
彼らは先生の滞在されてるホテルに私にも部屋を取ってくれて、
翌日のレッスンに連れて行ってくれました。
宮殿の広間で行われていた公開レッスンは、衝撃的でした。
ロシア奏法は初めてではありませんでした。
音大で師事した先生もロシア人でしたから。
でもカンツォーネの国イタリアの生徒が自由に弾くのを、
ネイガウス直系のヴェラ先生がお話を交えながら、
次々と演奏して見せている。
なんだかよくわからないが、とにかくすごい!
私に今必要なのはこれだ!と直感しました。
すぐに別の部屋で、先生の娘でアシスタントを勤めるクセーニャ先生に
私の演奏を聞いてもらい、入門を許されました。
ロンドンに一旦戻り、次のレッスンはミュンヘンでありました。
一週間ほど、ドイツ各地やパレルモから集まった生徒たちが、
集中してレッスンを受けます。
先生は英語を話されないので、ロシア語かドイツ語でした。
私も昔かじった片言のドイツ語で、
先生のお言葉と音楽を聞き漏らすまいと、必死でした。
そんなレッスンが定期的に年に何度かあり、
夏にはフランスのトゥールという町で夏期講習もありました。
先生は特にショパン、シューマンなどのロマン派と、
ラフマニノフ、チャイコフスキーなどのロシア派がお得意でした。
バッハのイギリス組曲、ショスタコーヴィチの24のプレリュード、
ショパンのマズルカやバラード、幻想ポロネーズ、など、
先生に教わった曲は今でも私の宝物です。
初めてお会いしてから一年が経ち、コンクールで入賞できた時も、
先生は大変喜んで下さいました。
そのうち私がロンドンから日本へ帰国する決意を固めたのも、
先生がその頃から日本にも度々いらしていて、
ヤマハで教えたり、NHKのテレビ番組に出演されたり、
東京でもお会いできるだろうと思ったからです。

帰国早々、先生に会いに、目黒のヤマハへ行きました。
パレルモと正反対の「関係者以外立入禁止」の雰囲気も気にせず、
よく図々しく乗り込んで行ったものです。(笑)
世間知らずというか、若気の至りというか・・・
先生が「私の生徒!」とハグして下されば怖いものなし、
みたいなノリでした。
そうして先生の義理の息子、クセーニャの夫、リトアニア人の
ペアトラス・ゲニューシャス先生のレッスン通訳(英語)を仰せつかり、
目黒に通う日々が始まりました。
そのうちマスタークラスの講師として、先生のお留守の間、
生徒たちのレッスンをするようになりました。
少人数でしたが才能ある子供達ばかりで、
彼ら彼女らは皆、演奏家として今、立派にキャリアを歩んでいます。
コンチェルトを弾く生徒の伴奏で、先生のお隣りで弾くこともあり。
また生徒のレッスンを聴講していると、先生が弾かれる時に、
「ヨーコサン!」と呼ばれて、譜めくりを頼まれたりしました。
私にはあまりにも偉大な先生で、お側に寄るだけで緊張しましたが、
先生はいつも深い愛情と雄大な音楽で接して下さいました。
お昼休みにはロシア語の通訳の方を通してプライベートの話もあり、
特に私の結婚や出産を大変祝福して下さりました。
ネイガウスの愛弟子として演奏家としても活躍し、
モスクワ音楽院で大勢のピアニストを育て上げたヴェラ先生。
ディーナ・ヨッフェやポゴレリッチの東京での演奏会に
先生のお供をさせて頂いたのも、想い出の一つです。
最後にお目にかかったのは、いつのことでしょうか?
かなり前ですが、今となってはよく思い出せません。
それが最後になるなんて予想していなかったからでしょう。
最近はご高齢で引退されていらしたようですから、
最後に来日されたのもいつだったのか・・・。
お孫さんのルーカス・ゲニューシャスは若手ピアニストとして、
ヴェラ先生の跡を立派に継いでいます。
今後は彼の演奏活動を楽しみにしたいものです。
今、改めてFacebookでヴェラ先生の様々な演奏を聴いていると、
本当に先生のお人柄が思い出されて、涙が止まりません。
恐らく世界中で先生を偲んでいる生徒が大勢いることでしょう。
感謝と尊敬と愛を込めて。
ご冥福をお祈りいたします。。
