きのうは、窓は一日中左右を10センチほど開けていましたが、夜になっても気温が下がらず、かろうじてうとうとすることが続き、今朝の6時~7時ころ、少し涼しくなって、蒲団の上で少し気持ちよく休めました。いよいよ夏の気温の上昇です。

 日中の暑さと、日が落ちてからの暑さとは、夏の別個の問題です。地球温暖化の影響の部分もありますが、地域と住宅の影響も大きいと思います。

 

 わたくしの籠り部屋はマンションの北西を向いた各戸を結ぶ通路側になります。夏もこの時期になりますと、夕方西日がしっかりマンションを温めてくれるのです。部屋の小窓は、左右10センチほど目隠しがあって、開けていても外から室内が見えない仕組みです。網戸もあり侵入除けの格子もあります。南側のリビングのベランダの大きなサッシを開けても、いくつものドアがあり、風が表から裏へ通り抜けることはまずありません。

 

 今の時期は、日没後、気温最寄り駅を基準地点とするお天気サイトでは、22、3度に下がるとしても、わたくしの窓の外の通路の側は27、8度あるのでしょう。これが真夏になると、屋外の基準点でも30度を下がらない状態になります。

 さらに、エアコンを点けないと、外気温22度のところ、36度ほどの体熱が室内の空気を高温にするのです。夏への恨み言でした。

 

 

 きのう、6月16日(日)の朝日新聞の歌壇・俳壇から。

                                          

 まず、短歌。

 

 「(たき)を背に旋回、反転、採餌(さいじ)する燕幾百新緑を見ず」。この歌の作者は、逗子市の男性名の方。幾数百の燕が飛び回るとはすごい光景です。それを思って感服いたしますが、「緑を見ず」とは、燕さんは忙しくって青葉若葉などに関心がないということでしょうか。人間の眼も燕の乱舞に奪われるということでしょうか。

 

 「「今が一番ラブラブなの」と認知症の夫君と手つなぎ散歩す友は」。「かんにんねあなたと生きた時間(とき)をへて今がしあわせひとりのかるさ」。この歌の作者は仙台市の女性名の方。「老女ひとり銀座ライオン午後三時姿勢正しく黒ビール飲む」。この歌の作者は、三郷市の男性名の方。

 

 「やった感出してる夫に心中で「わたしは毎日やってますけど」」。「「パパのように一家に一人ストレス無い人いるのはいいことね」」この歌の作者は、稲沢市の男性名の方。「水まきをすれば葉かげに隠れいし家守出で来て水を舐めおり」。

 

 「小さ目のとんぼなれども子燕の口に余れり食べ残さるる」。「田植機がさっと田に来て田植え終え茶のみ話も歌声もなく」。

 

 「日比谷入り江の跡と知りしか心字池白鷺ひとつなにかあさりぬ」。この歌の作者は、常連の東京都の野上卓さん。日比谷公園の心字池の景色ですね。未熟者の疑問ですが、「白鷺一羽」ではいけないのでしょうか。

 

 次の2首は、現代社会をめぐる議論。

 「孤独死の手前に孤独な生がある、とは思わない思いたくない」。この歌の作者は川崎市の女性名の方。まだ比較的にお若い方か、子持ち夫持ちの方か、独居老人か、などにより見方が変わるでしょう。でも、多くの場合、孤独死された方は、その手前で、それなりの期間の孤独な暮しを過ごされたのでしょう。

 

 「子育ての喜び言わず大変さ強調する世に少子化進む」。この歌の作者は京都市の女性名の方。確かにその一面があるよなと思います。しかし、「子育ての喜び」をいうと、性的役割の強制だとか、不妊症の方や育児を選択しない方への差別だ、などとの批判も起きかねません。

「子育ての大変さ」を言って、子育てしやすい環境をより進めないと、少子化はさらに進みます。

 

 

 次に、俳句

 

 「通訳のいらぬ鳥語や明易(あけやす)」。「一匹の蛍に深き闇があり」。「転げ落つる土手の遊びや夏来(きた)る」。「片蔭(かたかげ)や優しい方が蔭譲る」。「真夜中に一回唸(うな)る冷蔵庫」。

 

 「龍(りゅう)が玉銜(くわ)へたる能登青嵐」。この句の作者は、羽咋市の女性名の方。これは、能登半島の形が、左手をのばし親指と他の4本の指の間に能登島をはさんだ形に見える、ことを詠み込んであるのですね。能登半島にも青葉風。

 

 紙面中ほどの『うたをよむ』の欄。今回のタイトルは、「空白を見つめて」。筆者は、寺井龍哉さん、歌人・文芸評論家。

 

 「ねむらない樹」6号(2021・2)からの引用。

 「リラックスしないなら死ね 自分たちが空からずっと見え続けてる」(瀬口真司)

 

 今回は、上のようでした。