本日、日曜日、6月2日(日)の朝日新聞の歌壇・俳壇から。

                                          

 まず、短歌。

 

 「部屋全て蚕を飼いてその隅(すみ)でわれ産まれしと叔母言ううれし」。この歌の作者は、常連の飯田市の草田礼子さん。「生まれ」ではなく「産まれ」、最後の「うれし」もすばらしい。

 

 「水張田(みはりだ)に火影(ほかげ)映して人かげのまばらな窓の夜汽車が走る」。この歌の作者は、長崎市の女性名の方。「公園のつつじの花の蜜を吸おう心の中の少年が言う」。この歌の作者は綾瀬市の元少年の方。「見たこともなき大花束にうずもれて退職の日の夫帰宅す」。

 

 「軽トラは新玉葱を満載し前を徐行す春野のかをり」。この歌の作者は、諫早市の男性名の方。「ゴビ砂漠より三千キロ空に舞い海越えて我が机上の黄砂」。この歌の作者は、常連の五所川原市の戸沢大二郎さん。「白内障ひざ痛腰痛言い合いて笑い飛ばしてランチを終える」。

 

 「結婚は幸せのカギという友の熱弁とレモンサワーとねぎま」。この歌の作者は、常連の富山市の姉妹のお姉さんの松田梨子さん。いかにも、作者が結婚に大いに憧れているよう。

 

 「避難先の水族館内散歩する体調回復の能登のペンギン」。この歌の作者は、常連の石川県能登町の瀧上裕幸さん。この歌の『評』に、「能登のペンギンたちも、ずっと避難生活を送って来たらしい。」とあります。

 瀧上さんのもう一つ選出されたの作品、俳句。「母の日を喜べぬ人の涙かな」。

 

 「足裏のふくふくしたるをまさぐれば子の子の産みしみどりご笑ふ」。この歌の作者は、ひたちなか市の篠原克彦さん。

 

 「憲法の記念のつどいに前文を音読すれど若人はいず」。この歌の『評』に、「護憲の集会で憲法の前文を読み上げても、会場に若者のいない寂しさ」とあります。「護憲の集会」とは、社民党や共産党ほか左翼系の集会のことでしょうが、選者はなぜこの歌を「護憲の集会」と限定することができるのでしょうか。

 

 

 次に、俳句

 

 「鋼なす九十歳の裸かな」。「月眠るやうにゆらして春の海」。「ゆるキャラのごとき幼(おさな)よ春の丘」。

 

 「シャンシャンの日本語恋ふる春の風」。この句の『評』に、「中国に渡ったパンダだが、日本語を聞くと耳をそばだてるとか。泣ける。」とあります。

 

 「一族のたつた一人の田植ゑかな」。もう一句別の作者のおなじ視点の作品。「田を植ゑる一家総出の二人かな」。

 

 今回は、上のようでした。