きのうは、早朝に東のハーフコースを走りました。その後、見沼たんぼへ歩きに行きました。日傘を差して行ったのですが、朝走る頃は空に雲がたくさん浮かんでいましたが、歩く頃は雲は少なく、強い日ざしでした。それでも大きな木蔭の空気は涼しくありました。これから秋まで、天気のよい日のウォーキングは止めた方がよさそうに思えました。

 

 今朝も、東のハーフコースを少しふくらませて走りました。

 

 本日、日曜日、5月19日(日)の朝日新聞の歌壇・俳壇から。

                                          

 まず、俳句。

 

 「五月富士本日日本営業中」。この句の作者は、川越市の横山由紀子さん。すばらしい。

 

 「後の世は蝮(まむし)にならん彼奴(きゃつ)を咬(か)まん」。「スクール水着固く絞れば茄子(なす)になる」。「ほんたうは鳥になりたき鯥五郎(むつごろう)」。この句の作者は、熊本市の女性名の方。


 「引き抜かれ馬刀(まて)は途端にぐつたりす」。この句の『評』に「マテ貝堀りの臨場感がある。」

 

 「死ぬはよし寝たきりはいや草を引く」。この句の作者は、三田市の女性名の方。「まどろむは巣落ちの雀(すずめ)たなごころ」。この句の作者は、下関市の男性名の方。「夫の柩(ひつぎ)を見ているふしぎおぼろの夜」。「詰襟(つめえり)とセーラー服や春堤」。この句の作者は、須賀川市の男性名の方。

 

 

 次に、短歌

 

 「この頃は「さんぽの前田さん」と言う人いて散歩歴三十五年」。この歌の作者は、中央市の前田良一さん。定年退職60からの35年でしょうか。

 

 「筍を掘りて水煮を配りおり夫が一番好かるる季節」。「無住寺に並ぶ石仏その中に憂ひ帯びたる兵士を見つく」「気がつけば入社3年目後輩に悩みもたまに打ち明けられて」。この歌の作者は、富山市の常連の姉妹のお姉さんの松田梨子さん。

 

 「檳榔(びんろう)の先に鎮まる海のあり一村の絵の奥はあたたか」。この歌の『評』に、「奄美大島に移住して画業に励んだ田中一村(いっそん)を讃える歌」とあります。

 「檳榔」とはネットの辞書に、「ヤシ科の大高木。アジア熱帯地方、ニューギニア、オーストラリア、九州、沖縄、小笠原に生える。高さ八~一〇メートル、径三〇~六〇センチメートルに達する。」とありました。

 

 「休みの日てぷてぷてぷと雨が降り行きつ戻りつページをめくる」。「探しものする春休み思春期は漢字で書くとちょっとかわいい」。この歌の作者は、常連の奈良市の親子のお姉さんの山添葵さん。「お転婆は死語にはあらず見上げれば樹上で手を振る十四の娘」。

 

 「日本へはもう帰れない体力で二人の孫と並びて撮られる」この歌の作さ派は、常連のアメリカのソーラー泰子さん。「鄙(ひな)の里水車を回す春の水移住の子らと水路の掃除」。この歌の作者は、常連の対馬市の神宮斉之さん。

 

 「赤ちゃんの帽子にはみな耳ありて未だ人より仔猫に似たり」。「命乗せ真つすぐ北へ山峡の峠越えゆくドクターヘリよ」。この歌の作者は、松山市の男性名の方。「春耕に出でし野ねずみ白鷺が丸呑みにせりまたたくうちに」。

 

 「県庁まで直進二キロのわが庭に鹿のあらわれ息がつまりぬ」。この歌の作者は、盛岡市の女性名の方。「半壊の家に出入りする燕(つばくらめ)知らぬや主の避難せしこと」。この歌の作者は、七尾市の男性名の方。「一畳の寝床に僅かな荷を広げ雲水たちの修行始まる」。

 

 次の2首に関連し気づきましたこと。

 「草原に埋もれて脚を狙い撃つ狡猾(こうかつ)極まる「花びら地雷」」。以前にも「花びら地雷」を詠んだ作品がありましたが、何のことかよくわからなかったことがありました。

 「原爆の惨状描写なきことが何より怖い「オッペンハイマー」」。同趣旨のコメントをネットで見ておりましたが、わたくしの映画メモは先のとおりでした。「怖い」とか「許しがたい」とかのご意見もあるでしょう。なぜ映画があのようになったのかは米国の関係事情の詳細が分からないので、わたくしには分かりません。

 

 紙面中ほどの『俳句時評』の欄。今回のタイトルは「芭蕉の感情表現」、筆者は、岸本尚子毅さん、俳人。文中に引用された芭蕉の句3句。

 

 「さまざまの事思ひ出す桜かな」。「おもしろうてやがて悲しき鵜舟(うぶね)かな」。「見送りのうしろや寂し秋の風」。

 

 今回は、上のようでした。