きょうは、週一の務めの浴室の壁と床掃除をしました。午後3時から、2回目となる区の補助の入浴券で銭湯へ行って、追加料金を払い、はじめてとなるサウナを利用しました。ご機嫌です。

 

 さきの5月14日(火)の読売新聞の歌壇・俳壇から。

 

 まず、俳句。

 

 「酸素ボンベ提げて弟春日和」。この句の作者は、志摩市の岡山花野さん。筆名でしょうか。性別は?

 

 「夜(よ)の森(もり)の被曝桜に集ふ神」。この句の作者は、四街道市の樹下石上さん。こちらは筆名でしょう。この句の『評』に、「福島原発事故で帰還困難区域となった桜の名所「夜の森」。近年立ち入り可能となった。観桜客が立ち去った夜更け、神々が集まり、人間の未来についてひそひそ話し合っている。」とあります。

 

 「地震(ない)ありし能登千枚田田を返す」。この句の作者は、武蔵野市の男性名の方。

 

 

 「降りやまぬ雨やかりかり初かはづ」。この句の作者は、大分市の男性名の方。この句の『評』に、「蛙(かえる)の鳴き声のオノマトペは色々あるが、カリカリは少し意外で、しかもかなり納得。次の二句の「もやもや」と「カヤカヤ」も個性的」とあります。

 

 「百匹の蝌蚪(かと)もやもやと子のバケツ」。「蝌蚪」はオタマジャクシ。「満天星(どうだん)の花カヤカヤと万の音」。「百四歳母生ききって春に逝く」。

 

 「(ひき)(い)でて隣家の犬の吠えつづけ」。垣根越しのお隣でしょうか。見えたり匂いがしたりするのでしょう。

 

 

 次に、短歌。

 

 「原っぱに風ひかるとき今そこに詩の神がおはしましぬと思ふ」。この歌の『評』に、「われわれのような平凡な人間にも、ふと詩の神さまが降りて下さるときがあって、ふわりと一首の歌ができる。春の原っぱにやさしい風が光る。生きることはすばらしい。」とあります。

 

 「おむかいの娘が家を出たらしい伸びた爪切るように自然に」。この歌の作者は、宇土市の女性名の方。この歌の『評』に、「隣家に年頃の娘さんがいたが、家を出て一人暮らしをはじめたようだ。まるでのびた爪を切るように、という比喩がいい。自然なことだ。そして自然はどこかさびしい。」とあります。

 

 「「お父さん夕べ歩ける夢みたよ」寝たきりの妻ほほゑみて云ふ」。この歌の作者は、常連の浜松市の久野茂樹さん。

 

 「新しい餅つき機今日は試し搗き母もわたしもあねさかぶりで」。「灯台のような学校作らむと離島に赴く新任教師」。

 

 「空港の蛍光灯を二千本替えし深夜の作業忘れず」。圧倒的な労働の迫力です。

 

 「洗われた犬の振り払いたい放置自転車」。「みずからの影捨てるため水鳥は飛び立つときに水強く打つ」。自転車や水鳥に感情移入。水鳥の歌の作者は、川口市の牧恵子さん。力強い作品です。

 

 「夏椿一日咲きて落ちたるに白き花弁の乱れもあらず」。

 

 

 今回は、上のようでした。