きのうは(正確には、おととい)、娘の家族と一緒に、都庁の展望台へ登り、食事をし暗くなってから、都庁外壁のゴジラ・プロジェクションを観て来ました。おもしろい経験でした。都庁展望台では、しばらくいた間に、男女一人ずつの方が、ピアノ演奏を聴かせてくれていました。たぶん、駅ピアノと同様なものではないかと思いましたが、その時間がより豊かになりました。感謝。

 

 (朝日歌壇は、日曜日にも月曜日にも載っていませんでしたから、お休みなのだろうと思います。)

 

 きょう(正確にはきのう)5月6日(月)の読売新聞の歌壇・俳壇から。

 

 まず、俳句。

 

 「咲き休み散り休みつつ花は葉に」。この句の作者は、羽村氏の竹田元子さん。この句の『評』に、「古典的な味わいがる。万葉よりもゆったりと新古今調か。花を眺める余裕もいい。花の終始を詠って見事である。動詞四つに、それぞれ小休止を置いて読む。」とあります。

 

 「嬉しさは古巣に来る初燕」。「親友の桜と共に老いにけり」。「自転車を止めて駐在花仰ぐ」。「蛇穴を出でて吸光してをりぬ」。

 

 「連翹(れんぎょう)の揺るるは楽し老いたのし」。この句の作者は、三条市の星野愛さん。この句の『評』に、「「楽し」の繰り返しに実感が溢れる。春到来の喜びも生きる喜びも、人生の残り時間が少なくなってこそ深くなる。老いることは面白いのだ。」とあります。なぜ、2つ目は「たのし」とひらがなにされたのでしょう。

 

 「経(たていと)の日矢緯(よこいと)の初燕」。今区の作者は、伊勢崎氏の大和とき子さん。この句の『評』に、「経糸が雲間を洩れる日差し、横糸が燕の無数の見えない飛行跡。春の大空に展開される壮大な機織り。」とあります。

 

 「寄り来るはみな引き連れて花筏」。「撫でることゆるす保護猫春しぐれ」。「桜咲く頃には少し落ち着きぬ」。この句の作者は、金沢市の男性名の方。

 

 「蟻の乗りおり花筏よく見れば」。わたくしが愚考しますに、この作品は、「よく見れば蟻の乗りおり花筏」ではいけないのでしょうか。

 

 「たんぽぽや一人で歩くだけのこと」。この句の作者は、富津市の女性名の方。わたくし、2022.5.5の(読売)俳壇のメモに、綾瀬市の丸山弘子さんの「春愁やただ生きてゆくだけのこと」という作品をご紹介しています。

 

 

 次に、短歌。

 

 「失恋をして泣きながら弁当を食べてた三田さん思い出す桜」。この歌の作者は、佐世保市の鴨川富子さん。失恋をして(7)、泣きながら(5)、弁当を(5)、食べてた三田さん(8)、思い出す桜(8)、と区切って読むのでしょうか?

 

 「公園に跳ぶ子走る子滑る子の声響き合ふみな春の客」。「おちついてゆっくりひとくち水を飲む出かけるまえのわたしのきまり」。

 

 「失恋が全細胞に知れわたる前に書類を仕上げなければ」。この歌の作者は、八王子市の吉村のぞみさん。「餞別のショコラに付箋紙「好きでした」先にください現在形を」。「花毎に娘(こ)の写真撮る母のゐて入園式の帰りなるらし」。

 

 今回は、上のようでした。