きのうは、一カ月ぶりくらいで、いつも行く街中温泉へ行きました。片道40分を往復歩いて。サウナと湯船巡りを休憩を入れて2サイクルやると、家に帰ってからドット疲れを感じるのです。きっと健康にいいのだろうと・・・。

 

 

 きのう、4月8日(月)の読売新聞の歌壇・俳壇から。

 

 まず、俳句。

 

 「あてどとは流れゆく先春の雲」。この句の作者は、常連の浜松市の久野茂樹さん。この句の『評』に、「今は旅行に行くときには綿密な予定を立てるが、かつては「あてど」ない旅もあった。そんな旅がしたいもの。いい句だ。」とあります。

 

 「干し竿と巣箱をおいて転居せり」。この句の作者は、常連の栃木県のあらゐひとしさん。わたくし、「干し竿」ではなく「干し芋」かと思って選びました。鳥のために餌と巣箱を残すのは風流だと。しかし、「巣箱」はともかく、「干し竿」を残すのはなぜでしょう。

 

 「皹(ひび)の手を労わりあひし友も寡婦」。「望郷の水平線や春かすむ」。この句の作者は、ソウルの男性名の方。「遠慮なく追ひ抜きなされ鳥雲に」。

 

 「うららかやいま揺れるともしれぬ国」。この句の作者は、東京都の男性名の方。この句の『評』に、「「揺れる」は地震のことだろうが、政治など、他の不穏な揺れも連想させる。しかし、穏やかな春日和、その危うさもまた楽しもうとのひねくれぶりに俳諧味が横溢」とあります。

 東南海地震や首都直下型地震がいわれます。能登の地震など近年の大きな地震の直接の被害者や関係者を別として、多くの人の日常の隣にある危うさではないでしょうか。

 

 

 次に、短歌。

 

 「白壁に鉛筆で描いた巨大蟻おもしろいとて母は残しぬ」。「「草枕」「二百十日」「野分」へと読み次ぎきたり庭の梅咲く」。「負けたことが財産になるぐらいなら俺はとっくに大金持ちだ」。

 

 「相棒の猫はこの世の舞台から去りて心のともしびとなる」。この歌の作者は、福山市の石川茂樹さん。この歌の『評』に、「老衰の愛猫は、ついにあの世に旅立ってしまった。相棒の猫、がよく感じがでている。この世で唯一の相棒だった。」とあります。

 「心のともしび」という言葉がいいと思います。ともしびを見る人も死んでしまえば、何もなくなってしまいます。

 

 「一歳で歩き覚えしわれなるに「歩き教室」に妻と通へり」。「地震(ない)過ぎて棚田も島もかはり果てかはらぬものは能登に降る雪」。この歌の作者は、高崎市の男性名の方。「父母が静かに逝ってくれるまで専業主婦の名札下ろせず」。

 

 今回は、上のようでした。