きょう、4月7日(日)の朝日新聞の歌壇・俳壇から。

                                          

 まず、短歌。

 

 「今更に早世惜しみ記事を読む壮年のままの高橋和巳」。この句の作者は、長崎県の稲垣妙子さん。わたくしも、このブログに何度か書いていますが、学生時代、高橋和巳をずいぶん読みました。長編の小説は全部読んだと思います。もう年老いてしまいましたから、今から読み直してもあの頃の感動は還ってこないのでしょうね。

 

 「美しき畝(うね)を描きつつ春耕の牛やわらかな時間の中ゆく」。この句の作者は、垂水市の岩元秀人さん。現代の日本の光景でしょうか?

 

 「ベランダの春の日だまり奪ひ合ふ亀も三匹寄れば騒がし」。「あの頃は傍にいるだけ歩くだけそれがしあわせそれでよかった」。「今ならばとてもわかるよあの夜の電話の母は寂しかったのだ」。

 

 「家のなか妻の骨壺(こつつぼ)抱きながら各部屋歩く納骨の朝」。「納骨終え食事も終えて一人だけ遺影の妻の待つ我が家へと」。この2首は、2人の選者に1首づつ選出された、小金井市の神蔵勇さんの歌です。

 

 

 次に、俳句。

 

 「はくれんの空まぶしき子犬かな」。この句の『評』に、「咲き満ちる白木蓮(はくもくれん)。子犬の心になって詠んでいる」とあります。「はくもくれん」を「はくれん」と呼んでいいとははじめて知りました。ちなみに、「紫木蓮(しもくれん)」が本来の「もくれん」です。

 

 「あれは夢これは現(うつつ)と大朝寝」。特にこの季節など、目が覚めても気持ちよくていつまでも寝床に入っていたいと思うのは、定年退職した老人の特権ではないかと思っていましたが、高齢者が8時間以上寝床に入っているのは健康によくないと、厚労省の睡眠ガイドラインにあるようで、最近とまどっています。

 

 「桜餅くばって老舗閉店す」。「葱坊主父母の形見の我や喜寿」。「里山は我も我もと木の芽吹く」。

 

 「龍(りゅう)天に登る鳥山明連れ」。わたくしも、鳥山明さんの大ファンです。ドラゴンボールは全42巻持っています。「ほよよ」のアラレちゃんもすばらしい作品です。わたくしなら、「・・・鳥山明乗せ」。いっそ、「ドラゴンの鳥山背負い空登る」。

 

 「一生の一句をいづれ山笑う」。「山笑う」とは、「新緑や花などによって山全体がもえるように明るいさまになる。」《季・春》こと。

 たぶん、作者の意は、「いずれの日にか、一生で一番いいといえる一句を作りたい」+季語、なのでしょう。わたくしは、わたくしの場合、「きっと、一生に一番いいと思える一句ができても、山に笑われるだけだろう。」と、この作品を見て思いました。かなしい。

 

 「春光や裸ん坊の赤ん坊」。

 

 「億年の岩屏風(いわびょうぶ)立て芽吹山(めぶきやま)」。この句の作者は、高松市の女性名の方。「芽吹山」という名の山があるのかどうか確認できませんでした。いずれにしても、すてきな岩屏風の山が芽吹いてあるのでしょう。(しかし、日本の山はそんなに古くはないのかもしれません。)


 

 今回は、上のようでした。