きのうは、次女とその2人の子どもたちの4人で、芝公園近くを少し歩き、夕方暗くなるころに東京タワーに登りました。子どもたちは初めてだったのです。

 タワー周辺も、エントランスのある3階までの土産物店と飲食店も、メインデッキも、トップデッキも観光客でいっぱいでした。おそらく、半分以上は外国の方だったのだろうと思います。子どもや学生は春休みですから、日本の方も普段よりは多かったのだろうと思います。

上に上がると、夜景の一つとして東京スカイツリーも見えました。この古くて低くなった東京タワーに、人が多いことにびっくりしました。

 桜は、あちこちで3分~5分咲きぐらいだったでしょうか、港区のイベントのセーラームーンのマンホールを見つけに歩き回りながらでしたが、日曜日の代々木公園よりは花見もできました。

 

 

 さきの、4月1日(月)の読売新聞の歌壇・俳壇から。

 

 まず、俳句。

 

 「思い出が介護の支へ黄水仙」。「嗚呼なんて春の夜風の麗しき」。「街川はよどみしままや木の芽張る」この歌の作者は、佐賀市の女性名の方。「土佐は山土佐は海なり春の旅」。この句の作者は、岡崎市の男性名の方。

 

 「春めくや秀麗無比の鳥海山」。この句の作者は、秋田市の男性名の方。「春キャベツあと千玉と拭ふ汗」。この句の作者は、八幡市の男性名の方。この2句とも新聞俳壇らしい、印象的な作品だと思います。

 

 「ビートルズ好きな老人目刺焼く」。この句の『評』に、「ビートルズはもともとは若者が愛した音楽だったが、いつかその若者も老人となった。選者もそのひとりである。目刺を焼きながら、口ずさむビートルズの曲は何だろう。」とあります。この選者は、小澤實さん。

 

 未熟者のわたくしが嫌う、季語を取ってつけた俳句の例。「いいわけを言い出せぬままいぬふぐり」。「捨つる程出来ぬ俳句や冴返る」。

 

 

 次に、短歌。

 

 「おもひ出はうつくしきかな逝きし妻と小諸城址をあゆみてゐたり」。この歌の作者は、小美玉市の松山光さん。この歌の『評』に、「しみじみとした情感にあふれて、感動した。亡き妻をおもって、きょうも一日が暮れる。一緒に小諸城址を歩いた。あれから何年経つのだろう。すべては夢のごとしだ。」とあります。この歌の選者は、小池光さん。

 評も同趣旨だと思いますが、お亡くなりになった奥様と一緒に小諸城址を歩いたことを、今日、一緒に歩くように思い出していた、というのでしょう。

 

 「十円の鰯を十匹買ってきて流しに置いて突っ立っている」。この歌の作者は、垂水市の男性名の方。「語るべき友持たぬ我の傍(かたわら)でヒヤシンス咲く「ここにいるから」と」。この歌の作者は、鴨川市の女性名の方。「液体のごとく上手に仔猫たち籠に収まり寝息を立てる」。

 

 「幼な子は歩き始めた妹に歓声おくる「ベビーしゅごい」と」。「キッチンが物を言うからていねいに答えて妻は味噌汁つくる」。「ゆっくりと月に着陸するように音もたてない僕らの唇」。

 

 「暴れ木の九割の枝伐り落とし見上ぐる庭師九十余歳」。

 

 

 今回は、上のようでした。