一週間前、3月25日(月)の読売新聞の歌壇・俳壇から。

 

 まず、俳句。

 

 「戦争は終わりましたか地虫出づ」。この歌の『評』に、「もう戦争は終わりましたか、と地虫が出て来たという啓蟄(けいちつ)の句である。いま、人間の世界には戦争が好きな虫にも劣る奴(やつ)がいる。」とあります。

 

 「球児たち雀隠れに球探し」。この句の『評』に、「雀隠れは草木の葉が伸びて雀も見えなくなるほどになることで新入部員のボール探しも大変。」とあります。

 

 「贈るべく靴のサイズを聞く弥生」。「妻老いて老いぬ古雛飾りをり」。「相槌を打ちつまどろむ春炬燵」。「今咲いた花弁のやう蝶生まる」。

 

 「路傍にて氷雨に濡るる輪島塗」。この句の作者は、渋川市の男性名の方。この句の『評』に、「能登半島地震被災の一場面。輪島塗伝承そのものの危機感さえ伝わる。「氷雨」は歳時記では雹(ひょう)を指すが、冷たい雨の意としても用いられる。」とあります。

 

 「春になほとほきものあり春の雪」。この句の作者は、大月市の男性名の方。この句の『評』に、「春になってもなお遠いものとは何だろう。平和だろうか、宮沢賢治が言う世界全体の幸福だろうか。「春」の繰り返しが相乗効果を生む。」とあります。

 

 「祖父母父母みな産土春の風」。「春節の爆竹ダダダ地をバババ」。「艫舵(ともかじ)を妻にまかせて若布刈(わかめかり)」。「貸農園区画一畳耕せり」。

 

 「制服の魔法の解けて卒業す」。この歌の『評』に、「高校からの卒業。こちらも女子を想像。今時の制服はお洒落で、実に可憐である。守られた魔法の日々が終わり、人生へと踏み出す春。」とあります。

 

 

 次に、短歌。

 

 以下6首は、小池光さんの選。

 「プリンセス歩むがごとく雌犬はふさふさとせる尻尾を振りつ」。「木目込(きめこみ)の雛人形は母の母そのまた母の作りたるらし」。この歌の作者は調布市の女性名の方。「「大部屋でいいですか」「はい」明日からは五階病棟の大部屋女優」。

 

 「寒き日のおやじのような顔をして頬かむりしたゴッホの自画像」。「まんさくの枝を手折りて行きつけの床屋さんへと持ってゆくなり」。この歌の作者は、仙台市の鏡謙一さん。

 

 「自らが生きてることすら忘れてる母を見続けた窓の雲たち」。お母様はお亡くなりになったのか、転居されたのか。「忘れてる」は現在形、「見続けた」は過去形。

 

 「これほどに待ち遠しきこと久しぶり 寝ても覚めても翔平翔平」。この歌の作者は、下松市の女性名の方。この歌の『評』に、「かの翔平選手はスポーツ選手、野球選手のワクを越えて希望そのもののシンボルになった感がある。結婚報道でなおさらに。」とあります。

 これは、通訳の水原さんの事件報道の前の作品、評でしょう。あの事件はいまだ大谷選手のかかわりが不明ですが、大谷人気の転換点になるのかもしれません。

 

 

 「初午にお稲荷様への神饌を済ませばいよいよ農始まりぬ」。この歌の『評』に、「二月の最初の午(うま)の日に、豊作を祈って稲荷社に飲食物を供える。それからいよいよ農作業が始まるのである。歴と行事と労働とのうるわしい結び付きが詠まれた歌である。」とあります。

 

 「早春の山踏み分けてマンサクの花くれし夫若き笑顔で」。この歌の作者は、上越市の吉村恵美子さん。この歌の『評』に、「早春の山地に他に先駆けて花を咲かせるマンサク。黄色い線形の花弁は健気で美しく見える。若き日の夫は愛情を込めて花を捧げてくれたにちがいない。結句が素敵だ。」とあります。万葉集のような雰囲気です。花の色には、赤や白もあると思うのですが。

 

 「限りある命の行方惜しむ日のパセリの芽吹き飽かず眺むる」。「菜の花の果てに広がる丘の上樹木葬なる墓地があるらし」。「残雪に明るむ庭に遊びゐる保育園児は木の芽草の芽」。

 

 「この年は僕の観測史上初あなたの居ない春になったよ」。この歌の作者は、吹田市の崎島スジオさん。「野に生くるものの用心ツグミらのせつな啄みせつな見回す」。「三月どのあなたにも会えぬこと梅やミモザが咲いて散りたり」。

 

 「真夜中のコンビニみたいに灯ってる思い出がありふいに立ち寄る」。「神前に頭を垂れる主待ちて後ろに伏せる犬静かなり」。「息ひそめ住みゐる峡のひとり居に村を捨てよと言ふか凩(こがらし)」。

 

 「銀杏を妻と二人で剥いてゐる民話のやうな夜の温もり」。「目の前の箸を折りたい苛立ちを君の笑顔が救ってくれる」。この歌の作者は、所沢市の女性名の方。

 

 「「思い上がりが醒めないままに逝きました」元部下達へ喪主の挨拶」。これは何の事件・出来事を詠ったものでしょうか。わたくしには分かりません。こんな作品には『評』で、補足が必要ではないでしょうか。

 

 

 紙面右下の、『俳句あれこれ』の欄。その中で引用・紹介されている句。「いつものように逢って桜を褒めようよ」(池田澄子)

 

 今回は、上のようでした。今回は素敵な作品がたくさんありました。