きのう、3月3日(日)の朝日新聞の歌壇・俳壇から。

 

 まず、俳句。

 

 「春摑(つか)むセイジ・オザワの指の先」。「干したきは己代(かわ)りに布団干す」。「聞きたしや子どもの声の鬼は外」。この句の作者は、東京都大島町の方。

 

 「生き生きと流るるさまに滝凍る」。この句の作者は、北茨城市の方。そういえば、わたくしの学生の頃、親しい数人の友人に声をかけて、電車に乗って凍った滝を見に行ったことがありました。好評価でした。

 

 「雪霏霏(ひひ)と倒壊したる家家に」。霏霏とは、「雪・雨などがしきりに降るさま」と辞書にあります。

 

 「息詰めて聴けばかすかに雛(ひな)の息」。昨日の遠足の折、駅近くの隣の区の図書館の入口正面に雛段飾りが置かれていました。比較的現代的なお人形だったと思いますが、衣装を含め丁寧に古代の宮廷の人々の様が表現されていました。見ていて心が穏やかになる人形だと思います。口を閉じていますから声ではなく息です。

 

 

 次は、短歌。

 

 「零度には零度の熱の確(しか)とあり中学受験の子ら降りる駅」。この歌の作者は、神戸市の男性名の方。「SLIMなる月探査機は“神酒(みき)の海”に軟着陸す足のもつれて」。「新聞にこの文字絶えず家計簿に書いてみたきや裏金ありと」。

 

 「桐島とふひと逝きにけりひとはみな何者かとして生きてゐるなり」。この歌の『評』に、「何者かを消して生きざるを得なかった生涯もある。」とあります。もう一首同じテーマ・別の選者。「「後悔をしているか」「はい」と答える桐島某の孤独な一生(ひとよ)」。わたくしは、新聞を取っていなくて、テレビもほとんど見ませんので、この問答がなにかで報道されたものか、作者の空想なのか分かりません。でもいずれにせよ、公開をしていたに違いありません。その長年の孤独。

 

 「夕焼けの配られてゆく部屋ごとにひと日背負いて人の帰り来」。「蠟梅(ろうばい)と寒木瓜(かんぼけ)の咲くその奥の山羊(やぎ)の小屋から呼びかけられる」。この歌の作者は、常連の松阪市のこやまはつみさん。「荒海の魚貝売りゐし朝市の能登の言葉のやさしかりきよ」。

 

 

 「口笛に腹をゆすりて駆けてくる仔牛に指を吸はせるをとこ」。「アルバムを見ながら思ふ背広など着たこともなき父の一生」。この歌の作者は大分市の男性名の方。

 

 「異動して初めての業務する日々のうるおいはチョコと旅の計画」。この歌の作者は、常連の富山市の松田梨子さん。人事異動後の新しい仕事の心細さはよくわかります。救いでなくうるおいですから軽傷のレベルかもしれません。職場もご実家のある富山市内のことでしょう。これが遠方に就職することになった若者であれば、心細さは幾倍かでありましょう。若者に元気で頑張って欲しいと思います。

 

 「幼少時仮面ライダーに成るゆめが獄舎の鏡にショッカーひとり」。この歌の作者は、網走市の池田行吉さん。

 

 「九冬を火鉢にしのぎし日々ありき夫にわたしに清少納言に」。この歌の『評』に、「今はエアコンで便利だが、昔の火鉢で取る暖には味わいがあった。清少納言も火桶で暖まった。九冬(きゅうとう)は冬期九十日のこと。」とあります。ひょっとしたら、配偶者の方はお亡くなりになっているのではないか。清少納言はおそらく作者にとって比較的身近に思える人物なのでしょう。わたくしも、『枕草子』を買いおいていて、早く読みたいと思っています。

 

 「人伝(ひとづて)に聞くほかはなし認知症患者になりし友のその後を」。

 

 

 今回は、上のようでした。