先週、1月29日(月)の読売新聞の歌壇・俳壇から。
まず、俳句。
「当番で神社にこもり年を越す」。この句の作者は京都府の男性名の方。この句の『評』に、「いつもは神主もいない無人の神社も大晦日(おおみそか)だけは参詣人もあり、近くの人たちが当番で泊まるのだろう。大変でしたね。日記のような句。」とあります。たしかに日記のようだと、たぶんいくぶんかのマイナス評価を記しておられますが、その意味内容は、今日では、十分詩的に思えます。
「発車まで川原の足湯下呂の冬」。「福寿草伯母母伯母の三姉妹」。「歩く鳴く石突く歩く鳴く千鳥」
「妖精のをどる馬穴の厚氷」。「馬穴」はバケツ。
次に、短歌。
「老けたなとテレビ画面の女優観て夫が言えばちょっとうれしい」。「元旦にをはりなき世のめでたさと唄ひて何も疑はざりき」。「路地裏に羽子つきをする姉妹ゐてしばし人びと集まりて見る」。
「ときには蝶はたまた蜻蛉(とんぼ)、雨蛙墓参の我に父が寄り来る」。この歌の作者は、安中市の女性名の方。この歌の『評』に、「墓参りの歌。行く道々に、蝶々(ちょうちょ)やトンボや雨蛙(あまがえる)までが、わたしを迎える。まるで亡き父が迎えるように。死者は、小さな無数のいのちとなって、いまわたしに甦(よみが)る。」とあります。
「ふるさとに「ごはん食べたか」が口癖の母がいるなりつわぶきの花」。この歌の作者は宮崎市の男性名の方。この歌の『評』に、「結句、一転して「つわぶきの花」と据えたところで歌になった。母を思えばふるさとの庭の花が思われる。」とあります。故郷から遠く離れた散歩道のつわぶきかもしれないと思います。
「いつもよりシャワーヘッドの位置高しそうだ息子が帰ってきたんだ」。「子を死なせ初めての雪は天からの便りと思う目を閉じて聴く」。「うたた寝の間に母がよく言ってたな楽は苦の種、苦は楽の種」。
「老夫婦のみで迎へる新春に葉牡丹の鉢買ひ求め来ぬ」。啄木にも、花を買って妻と親しむという歌がありました。
今回は、上のようでした。