遅くなりました、一週間前1月25日(月)の読売新聞の歌壇・俳壇から、のつづき。
つづいて、短歌。
「数日を帰省の娘は水まわり磨き上げしのち帰り行きたり」。この歌の作者は女性名の方。この歌の『評』に、「実家に帰省した娘。何をするか、キッチンを磨き、風呂を磨き、トイレを磨く。ぴかぴかになって親はうれしい。うれしいが、かぜか、少しさびしくもある。」とあります。
これは作者の添え書きからではなく、選者の推量でしょうか? 娘が親に甘えないことや、はたまた掃除がゆきとどかない我が身の衰えを寂しがることもあるかもしれない。しかし、率直に、娘の親思いに感謝し、黙って磨くように成長したことを想い遣るのでも、いいのではないでしょうか。
「相病みし友の最期のひと口は胡麻豆腐なり小(ち)さき匙にて」。「宮城県宮城郡宮城村の頃夜空に星が瞬(またた)いていし」。「大写しの幼き孫の写真あり笑顔の中に人格も見ゆ」。
「生産性もはや持たざる身の寒く軒端に吊るす十薬の束」。この歌の作者は宇都宮市の木里久南さん。下のお名前はなんと読むのでしょうか。女性か男性か。「生産性」は子を産むことか、社会に出て働けないことか。
「秋の木は葉が散り尽くす終止形冬木は花を待つ未然形」。「甘栗を喜ぶ父の太い指黒い油の染みこんだ指」。「道端の空き缶拾うことくらい君と十年付き合う理由」。
「亡くなった祖父母の後になくなってしまう祖父母の住んでいた家」。「小春日の托鉢僧と老婦人頭下げ合ふ京の街角」。
「兵の日の寄せ書きに読む懐かしき人の名すべて冥界に入る」。この歌の作者は、京丹後市の鉄林篤さん。この歌の『評』に、「第二次大戦を知る人も多くが鬼籍に入った。戦友たちを見送り、そして私は今を生きる。静かに友らに語りかけるような一首。」とあります。
今回は上のようでした。