20歳長老は、現在もほぼ昏睡状態だがまだ生きている。
まだ生きているという表現も好きではないが、事実まだ生きてくれている。
まだ一緒にいてくれるという事がとても有り難い。
これを奇跡とは言えない。
現代医学のおかげだろう。
長老が見た目に分かるほど衰弱した時、病院が開く時間にかかりつけの獣医さんに電話をして相談した。
老先生曰く
「老化は治せんわ。連れてくるだけで負担になるやろうから、薬だけとりにき。飲ませてあかんかったらしょうがないで」という答えだった。
優しい先生で腕もいいがどうにもならない、推測した通りの答えだった。
薬だけもらいにいった。
そこからが毎日薬を飲ませるための闘いになる。
心臓に負担がきてしまうので点滴も難しいので、水分補給と栄養補給のためにスープを作った。
市販の流動食を利用して作ったが、他の子達が目の色を変えて欲しがるほど美味しい匂いのするトロトロのスープなのだが、これを飲ませるのが本当に大変だった。

続く

冬が少しずつ近づいていくように、長老猫はゆっくりゆっくり衰弱している。
時間との戦いだけど、老いというのは人も猫も同じ。
過ぎて行く時間には逆らえない。
いつか逆らえない別離を迎えるのは如何ともし難い。
命にとって時間は敵というところだろう。

面白いことに、時間というのは敵にもなれば味方にもなる。
人生の流れる時間の中で悲しみを何度も経験する。
悲しいと苦しいと感じて、その痛みから逃げたいのは誰でも同じだと思う。
どうやっても逃げようがないし即効薬などない。
一つだけ薬があるとすれば時間だ。
人とは忘れる生き物で、忘れなければ脳味噌が情報で破壊されてしまう。
いま辛くても時間が癒してくれる。
ポエムのような表現をするなら、時間という魔法が貴方を癒してくれるから…
魔法ではなく、人が生まれ持った習性であり、ただの脳味噌のメカニズム
人の本能として、気持ち良くはないから悲しみや苦しみを反復記憶をしない。
反復記憶をしないと、脳内の消しゴムが働いてくれる。
忘却のメカニズムが働けば、時間とともに気持ちの良くない記憶は薄れていく。
悲しみとの私の向き合い方
悲しいという感情を捨てない、時間と忘却を利用して心を落ち着かせる。
自分の感情を制御できるのも消化できるのも自分しかいない。
誰も変わりはできないから、感情のままに暴走しても己に悲しみやが返ってくる。

いまは辛い
でも、この痛みも悲しみも必ず薄れていく。
経験値として残るから消えはしなくても必ずいつか楽になる。

辛い苦しいと周囲に喚く前に、自分と向き合ってみる。
静かにひとりで向き合った時、自分なりの処方箋が見つかるはずだ。
その方法が他人様に迷惑をかけないものであるなら実行してみる。
実行していると自分の意外な一面が見られて面白い。
私はゴジラになった。
ハンクラ、創作を趣味とする私は作り上げる手を持つが、壊したいという強い思いが潜在していることを知った。
アンビバレンツだなぁとゴジラな自分に笑ってしまった。
自分の悲しみには自分しか向き合えない、理解ができない。
向き合った時に私はゴジラになったが、
他の人は何になるのだろう?
ちょっとだけ興味がある。










昨夕から行方不明の長老を床下で発見。
深夜3時ぐらいで、床下は冷え切っていた。
そして長老も身体が冷え切っていた。
御歳20、人間にしたら100歳近い
台風で大洪水になった20年前、流れる水の中から私が救い上げた。
小さい子だったが、充分食べて充分大きくなった。
そして、牡丹の花のように美しい長毛種に成長してくれた。
忘れる事はない20年前
ずっと寄り添ってきた。
猫の容態はすぐ変わる。驚く程アッと言う間に悪くなる。
もう手は尽くしたので、無駄に点滴をして苦しめることはないようにと思い、静かに暖かい毛布に包んで眠らせている。
奇跡があるなら、きっとまた起き上がる。
でもね、奇跡なんて世迷言なんだ。
望んで起こる奇跡というのは、それは叶うことのない夢であって、命の終わりというのはあっけないものだ。
花のように艶やかな見た目で静かな優しい子でした。
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