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なんとか起き上がれるようになった。
市販の流動食と、私特製怪しいキャットフードで生きている。
日がな一日、寒いからずっとお包みの中で寝ている。
珍しく起きて座ったところ。

20歳の妖怪じじぬこも頑張っとるきんな‼︎
( =①ω①=)フフフ
4年前、確か母と肺癌を告知された年だったと思う。
思い返せば、私の闘いはその時に既に始まっていた。
自分も体調が悪くなって、相方の店の問題などもあり、面倒な事案ばかりを抱えていた。

面倒ごとなど誰しも逃げたい。
面倒というぐらいだから、心が折れそうな身体も疲労困憊するような毎日が待っている。
でも、面倒ごとは逃げたら先でもっと、手に負えないぐらいの重い事案になっている。
苦労するのは自分だ。
極力素早く、早急に解決するように行動力を発揮するようにしている。
対処は素早くは仕事で培った己の哲学だ。
しかし、素早い行動力だけでは解決しない問題は多いと思う。

例えば、現在私が直面している問題、生活と人の命に関わる事、親の介護だ。

介護の先にあるものは、間違いなく親の死
母を看取る時、怒涛のような毎日だった。
いくつも抱えていた仕事を減らし、自分の闘病は後回しにしても大丈夫だったので母のために医療費も使った。
母の最後は寝たきり、町医者では病状に対応出来ずに緊急入院をした先で亡くなった。
そして、高齢の父が残される。
嘆いても始まらないが、誰も助けてはくれない。
行政など全く当てにはならない。
施設は受け入れ先がない。
高額な全額自費負担の施設など無理だ。

それに、本人がまだ床についたままという訳ではたい。

運動機能は低下しているので車の運転は禁止、免許返上
視力が殆ど無いに等しいので家事などは私がしているが、何が恐ろしいかというと火を使う事。
頭は正常なのと自分はまだ若いという根拠のない自信を持っているからタチが悪い。
火を使って食事を作ろうとする。
作り終わった後、コンロの火を消し忘れる。
水道を止め忘れて水を出しっ放しにする。
その部屋にいないのに電灯は付けっ放し、テレビも付けっ放し。
古い家で広いだけが取り柄なので、暖房についてはエアコンは効果がない。
ファンヒーターか灯油ストーブが暖房器具なのだが、これも消し忘れる。
火事と水浸し、家の崩壊が怖いので目を離さないようにしている。
なるべく父から目を離さないようにということは、私自身の活動がかなり制限される。
仕事はどうしても休めないので優先事項、それ以外は、父のお守りという名の介護のために引きこもるしかない。
親の面倒をみるのは当たり前のことだろう?と言われそうだか、現実は厳しい。
何年も介護をしていて自分の性格が変わったと思う。
心が折れているとも思う。
ほんの少しだけ、どこかに逃げられたらいいなぁと思うけれど、どこにも逃げ場がないこらネットで愚痴を曝け出す。

子育ては子供の未来という楽しみがある。では介護は?というとその先にあるものは間違いなく人生の終焉だが、それ以外何かを見つけられるのだろうか?
母の死から丸一年、未だに見つけられない。
母の日記を纏めていたら吐き気に襲われるようになった。
生々しい生への執着と悲しみが私自身を侵食していくのがよくわかった。
介護の先に残ったものとは、死者の思いなのかもしれない。
その思いに囚われないように、いま私に出来ることが何かがわからない。
面倒事から今すぐ逃げたいという自分を見つけただけだった。







長老20歳は一日中寝てばかりで、それこそ生きているのかドキドキしながら何度も確認する毎日だ。
悪化して数日は全く動かない。
スープを作ったりしながら、無理矢理食べるという事をさせていた。
これがとても可哀想で、長老にとっては身体中が痛かったと思う。
固形物を受け付けなかったので、薬もすり潰して無理矢理喉の奥へ。
水はスプーンで少しずつ流し込む。
これを3日繰り返したら意識がはっきりしてきた。
現代医学と薬は凄い。
そして、衰弱した長老の細胞を生かしてくれたのはこれ
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うちの甘ーいマスターが、同じ味では可哀想じゃないか‼︎と切れ気味に買ってきたチューブタイプの液体フード
飲み込めないからこれを流し込む。
豊富な味に1番喜んでいたのは、おこぼれを貰おうと待ち構えていた末っ子だったかもしれない。
兎にも角にも5日間の老いとの攻防戦
私と現代医学が勝った。
いまは立ち上がってよろけながらも自分で歩いて移動する。
少しだけだが硬いフードもパウチも鰹節も食べられるようになった。
何より嬉しいのは、お腹が空いたと私に訴えるようになったこと。
食べたいという食欲は生と直結している。
食べないとすぐ身体が駄目になる。
長老の寿命はまだ大丈夫のようだ。
もう少しだけ私といてくれる。
2年前に21歳の猫、去年は母、毎年家族を失くすと流石に堪える。
命の運命はわからないけれど、私の手で出来ることは全てやろうと決めている。
奇跡というものは、あらゆる努力と準備をして、可能性のパーセンテージを増やしてからやっと訪れるものだ。
ただ口を開けて待っているだけでは訪れない。
宗教の表現を使わせてもらうとするなら、「神様は見ている」だろう。