そこからはHSPに関するブログや本を読み漁った。

どれも私の想いが言語化されてて、強く共感した。

子供の頃、生まれて初めて"生きづらい"って感じた時、生きづらいって言葉が実にしっくりくるのと同時に、変なの。って思った。
だって、不治の病に侵されてるわけでもない、明日もきっと3食しっかり食べて暖かいベッドで寝るだろう。
自力で呼吸して生きてること自体に不自由はないのに、生きづらいって。

でも、そもそもその生きづらいって感覚も間違ってなかったんだ。

生きづらいって感じるものに理由があるんだ!って。

すっと心の中に落ちた。


HSPである事はわかったけど、少し辛かった。
軽い鬱状態だったから、しんどかった。

だから本読んでても突然泣けたし、それは優しい言葉に励まされて安心から来るものであったり、なんで私はこんななの。って自己否定のものであったり。

HSPをそれまで知らなかったから、HSP関連の本ならどれを読んでも問題ないと思ってた。

だけど、ある方のブログにもあるように、本を読んでて傷つく事もあるんだよね。

その言葉、(今の)私には辛い。とか。

あとは、、心底落ちてたから、昔は私もこうだった。みたいな文章は、でも今幸せなら、大丈夫ならいいよね。って素直に受け止められず、とてもひねくれた考えだけどwそんな見方になってしまったりした。

精神状態が安定してる時にHSPを知っていたらまた違っていたのかな。



抜歯の予定があったりでお休みを多くとる予定でいたのは、今思えばちょうど良かったと思った。