~16: 貴族 

 

 

『…………』

私たちは無言のまま、

ルロイの放つ妖気に押されるように数歩後ずさった。

 

先日とは比べ物にならない、

普通の人間であったのなら

それだけで生気を吸い取られ、

生命を失うほどの猛烈な妖気に、

黄昏の野原が闇へと染まり、みるみる生気を失っていく。

 

そんなルロイの妖気が呼んだのか、

不意に吹いた風に

ベネッタが首に巻いていたスカーフが飛んで、

その下から忌まわしい痕跡

――二つ並んだ赤い点が現れた。

 

「貴族の口づけ……!」

うめくようにマークがつぶやいた。

 

それは屍人(アンデッド)の中でも

特に上位種の貴族と呼ばれ恐れられる

吸血鬼(ヴァンパイア)

その名の通りに吸血を行った証であった。

 

自らの存在を維持する栄養として。

または支配使役する忠実な下僕を作るため。

吸血には様々な理由と意味があるが、

ベネッタに貴族の口づけがあるということは――。

 

「マーク……?」

「…………」

レイコに名前を呼ばれて、

マークが絶望の影を浮かべた顔で無言で首を振った。

 

『――ということはやはり』

私の言葉を引き取って、

「ベネッタさんも残念ながら

 今は奴の眷属――屍人ということになる」

ぎりり、と歯をかみしめるマーク。

 

「そ、それじゃあ、おにいちゃん?

 おばちゃんと男の子はどうなるの…?」

私の後ろで震える声でたずねるクロエに、

マークは悔しさに顔をゆがめて、

「ルロイに憑依して支配しているやつを祓うしか、

 今の僕には手段が思いつかないけど、

 今のぼくが除霊の祈りを唱えても、きっと効果がないだろう」

 

高位の司祭の除霊ならば

たとえ吸血鬼といえど

祓えぬこともないのであろうが、

今のルロイに乗り移ったものは、

おそらく十人の尊い生命によって

厳重に封印されていた強力無比な存在だ。

 

封印の効果がまだ効いているとはいえ、

マークには申し訳ないが、

まだ手に負える相手ではないだろう。

 

『それでもどうにかならぬのか、マーク?』

無理なことだと分かっていても

そう尋ねるしかなかった私に、

マークは首を横に振るしかなかった。

 

私たちが初めて会った時、

すでにベネッタは手遅れだったのかもしれない。

深い絶望感と激しい怒りにとらわれつつも、

先日の訪問時とは違って、

絶望的な戦いを避けられそうにない事態に

私は身体を震わせた。

 

腰の剣に手をかけつつ、

私がクロエを後ろにかばうと、

そそくさとバッグの中から何かを取り出す気配がした。

 

そんな私たちをかばうように

レイコとマークが前に出た。

ふたりとも槍を構え、剣を抜いていたが、

これ以上ないくらい厳しい、そして哀しい顔をしていた。