〜11〜

 

寮の階段を駆け上って、

 三階の一番奥のあゆむの部屋に飛び込んだひなたは、
ベッドの上に横たわる変わり果てたあゆむの姿に思わず両手で口を押えた。

 

「あゆむちゃんッ!?」
枕元に駆け寄って、布団の中で汗だくのあゆむの右手を両手で握ると、
 その手のあまりの熱さに涙があふれだしてきた。


「あゆむちゃん、ごめんね!

 本当にごめんね!!
 みんな、わたしが悪かったから!

 あゆむちゃんは全然悪くないからッ!!」
ぎゅーっと握りしめたあゆむの手を

 自分の額を押しつけて叫ぶひなた。

 

「だから…だから元気になって……!
 いつもみたいに…わたしに笑ってよぉ…!

 お願い…ッ!!」
ひなたの必死の祈りが通じたのか、声が届いたのか、
 弱弱しいながらもあゆむが手を握り返したのを感じて、ばっと顔を上げると、

「ひなた……おかえり……」
目をうっすらと開けて、あゆむがそうつぶやいた。

 

「あ、あゆむちゃん? おかえり、って……?」
「ヒナ! きっと、熱で混乱しているんだわ!」
「ウンっ!さっきもそうだったんだヨ!」
続けて部屋に入ってきた唯とまことが、
 ひなたの両隣りに座りこんで、ひなたの手の上からあゆむの手を握った。

 

「アンっ、もう少し我慢して!

 もうすぐ……もうすぐ、救急車が来るから!!」
大きな眼をうるうるさせながらも、唯は泣きごとを言わずに、
 姉の早を彷彿させるしっかりした態度で、てきぱきと指示を飛ばす。
 

「マコっ! アンの着替えを用意して!
 最悪、入院することになるかもしれないから、
 簡単に脱ぎ着が出来る服――そうね、学校のジャージがいいわ!
 それと、できたら下着の替えもお願い!」
「ウンっ! わかった!」

大きくうなずいたまことが、部屋の中を見回して、
「ゴメンね、月島さん!」
と、つぶやいてから手近のクローゼットをひっかきまわし始める。
 

「ヒナっ! 氷嚢の氷の替えをお願い!
 それと、額だけじゃなくて、両脇にも挟めるように、あと二つは欲しいわ!」
「うん! すぐに用意するねッ!!
 ――あゆむちゃん、しっかりね!

 まことちゃんも、唯ちゃんもついててくれるからね!?」

立ちあがろうとするひなただったが、あゆむがしっかり握った手を放してくれなくて。


「あゆむちゃん、お願い、手を放して?

 私、氷を替えないと……!?」
「どこにも行っちゃ、やだよぉ……。

 ひなたぁ、ここにいてよぉ……」
眼を閉じて、弱弱しく首を振ったあゆむの目から涙があふれ出した。
 

「お願い…ここにいて……。

 どこにもいかないで……」

「アンっ!!」
唯があゆむの手を両手で強く握り返しながら、

 さりげなくひなたの手をはがさせて、
「大丈夫よ、アンっ!

 ほら、ヒナはさっきからずっと、アンの手を握っているわ!!
 ね、わかるでしょ!?

 だから……だから、安心してッ!」
唯の言葉に小さくうなずいたあゆむは、ふーっと細く長い息をつくと、
 汗びっしょりの顔に安堵の笑みを浮かべて、ようやく涙を止めた。
 

それを見た唯は、うるんだ目でひなたに目配せすると、

「聞こえる、アンっ!? 
 アタシ、氷を替えに行くけど、ヒナとマコに迷惑かけちゃ駄目だからね!?」
「…………」
また意識を失ったのだろう、返事をしなかったあゆむに、
 今まで泣くのをずっとガマンしていた唯の目から、涙がはらはらあふれ落ちて、

「アン……アン……!

 お願いだから、しっかりしてよォ……?
 もし、なにかあったら……アタシ、一生、許さないんだからね…ッ?」
そのまま布団に顔を押し付けて、肩を震わせる唯を、
 あゆむの着替えを脇に置いて、まことが優しく両手で包み込む。

 

「日向さん、今のうちに氷をお願いネ……?」
「ヒナ……お願い……!」

「まことちゃん……唯ちゃん……」

ほんの些細なことが原因のケンカが

 あゆむをここまで追い込んでしまい、

まことと唯の二人をどれだけ傷つけ、苦しませてしまったのだろうか――?

 

「――ごめんね…まことちゃん、唯ちゃん……。

 私……私っ……!」

「日向さん」

「ヒナ」

立ちすくんで泣き出すひなたを振り返って、

「ボクたち、友だちでしょ?

 お互いに迷惑かけ合うのも友だちだよネ!」

「怒って、泣いて、悲しんで……。

 最後に四人で、いっぱい笑おう…?」

「うんッ、ありがとう!

 二人とも、大好きッ!!」

笑顔の二人に大きくうなずいて、ひなたは部屋を飛び出した。

 

階段を駆け下りて、一階の食堂にある

 寮生共用の大きな冷蔵庫の扉を開けると、

手早く氷嚢に氷を詰め、常備してある保冷剤を二つ手に取ってタオルにくるんで、

「あ――たしか……たしか、まだあったはずなんだ……!!」

そうつぶやきながら、さらに冷凍庫の奥を探り始めるひなた。

 

「あった!!」

騒ぎを聞きつつけて、食堂に集まってきた他の寮生が見守る中、

 喜びの声を上げてひなたが手にしたのは、

『日向ひなた私物 4/2』と書かれた小さな紙箱だった。

 

開ける手ももどかしく、

 中からファスナー付きのポリ保存袋を取り出して、

そのまま隣の電子レンジで温めた

 それの中身を手早くカップに移したかと思うと、

ひなたは氷のうと保冷剤二つを脇に抱えて、また三階へと駆け昇った。

 

「まことちゃん! 唯ちゃん! これ!!」

「ありがとッ、日向さん!」

「ヒナ、ありがとう!」

保冷剤を脇にはさみ、氷嚢を額に当てると

 あゆむの呼吸が落ち着いてくるが、まだ油断は禁物な状況には変わりない。

 

「ヒナ…? その手に持っているのは、なに…?」

うるんだ瞳で見上げる唯とまことの間に膝をついたひなたは、

 カップの中身――どろりとした深緑色の液体を二人に見せた。

 

「日向さん? コレ、葛根湯、とか青汁なのカナ?」

「ううん」

まことの問いに軽く首を振って、

「私のお父さん特製の、すっごくよく効く風邪薬なんだよ。

 去年の春に、弟のひかるが持ってきてくれた残りがあったのを思い出したんだ!」

「日向パパのお手製なんだ?」

目を丸くしてカップの中を覗き込んで、

「――でも、どうやって月嶋さんに飲ませるの……?」

 

「そ、それは……」

ひなたもそこまでは考えていなかった。

 とはいえ、再びあゆむが目覚めるのを待つ余裕もなく、その時――。

 

「ひなた……ごめんね……」

「!!!」

あゆむが高熱でうなされて、もらした一言に、

 なにか覚悟を決めた面持ちのひなたがあゆむをベッドから抱き起こすと、

カップの中身を口に含んで、口うつしに薬を――!

 

――あゆむちゃん……!

  薬を飲んで…お願いだよ……ッ!!

  これを飲んで元気になって……また一緒に笑おうよ…!!

 

呆然と二人が見つめる中、

 あゆむののどがコクンと動いて、日向家特製の特効薬を飲み込んだ。

 

「やったヨ、日向さん!

 月嶋さん、薬を飲んだヨッ!?」

「ヒナ、飲んだよ…っ!

 アン、薬を飲んだよっ!!」

口を離したひなたは、はぁはぁと激しい息使いのままうなずくと、、

 また薬を含んで、自分のありったけの想いと共に、あゆむの口に注ぎ込んだ。

 

――お願い……!

  また元気なあゆむちゃんに……

  私の大好きなあゆむちゃんに戻って……!

  お願いッ!!

 

そして、三度繰り返すと、カップの中身はすっかり空になった。

 

震える手でそっとあゆむをベッドに寝かせるとどっと疲れ切った顔になって、

 ひなたが二人に身体を預けるように倒れ込んできた。

 

「日向さん!?」

「ヒナっ!?」

「大丈夫……。

 きっと、これで、あゆむちゃんもよくなるよ……!」

「そ、それはそうだけど、今度は日向さんのほうが……」

薬と想いだけでなく、それこそ自分の生気も分け与えてしまったのだろうか、

 肩で息をするひなたの顔は、蒼白だった。

 

「ヒナ、しっかりして!?

 ヒナまで倒れたら、アタシ、アタシ…!」

二人に支えられながらも、軽く首を振って、

「私は大丈夫…!」

その眼に宿った決意の輝きはちっとも衰えていないひなただった。

 

「それより、まことちゃんと唯ちゃんは、

 あゆむちゃんと私のいないぶん、お店のほうをお願いできるかな…?」

「そ、それはもちろんだけど……。

 でも、ヒナが……」

「そ、そうだよ、日向さん!」

 

「大丈夫だよ、唯ちゃん。まことちゃん。

 絶対に大丈夫…ッ!」

だんだんと近づいてくる救急車のサイレンの音を耳にして、

 安堵の笑みを浮かべたひなたは胸に手を当てて、

「あゆむちゃんの付き添いで、誰か一緒に行かなくっちゃでしょ?

 だから、あゆむちゃんのことは私に任せて!?

 こんなことぐらいで罪滅ぼしに……。

 あゆむちゃんに許してもらえるか、わからないけど……」

 

「絶対、そんなことないヨッ!

 月嶋さん、本当だったら、

 これから日向さんの所に謝りに行くとこだったんだからッ!!」

「そうよ、ヒナっ!

 そんなアンが、ヒナのこと恨んでなんか……!

 許さないわけないんだから…っ!!」

「まことちゃん、唯ちゃん、ありがとう……!」

髪が水平に広がるほどの勢いで

 首を振って否定するまことと唯に両手を広げて抱きつくと、

「ごめんね…!

 ほんとうにごめんね……!

 うわーん」

今まで押さえていたものが爆発するように、

 ひなたはわんわんと声を上げて泣き出した。

 

泣きじゃくるひなたの背中を、

 二人は涙を浮かべて優しくさすりながら、

「いいのよ、ヒナ…。

 誰も悪くないんだから、謝らないで……ね?」

「そうだヨ、日向さん。

 だって、ボクたち友だちなんだからサ!」

「うわーん」

さっき以上の声を上げて泣き出すひなたを

 優しく抱きしめたまことと唯――。

 

ベッドの上のあゆむの顔が、先程より赤みが薄らいで、

 呼吸も表情もおだやかになって、微笑が浮かんだ気がする。

 

サイレンの音が止んだのは、寮の前に救急車が到着したからだろうか――?

 

 

 

      〜12〜

 

ひなたに付き添われて、

 丘のふもとの通称夢大の付属病院に緊急搬送されたあゆむだったが、

日向家特製の薬が効いたのか、

 病院到着時には容体も落ち着いて熱も下がっていて、

各種精密検査の結果、特に問題なしと診察結果が出たものの、

 あゆむの姉・玲美に確認を取ったうえで一応用心のために入院することになった。

 

ひなたは、あゆむのそばにいられる限り、ずっとその手を握っていた。

 一度放れかけた手を、離れかけた心を、

もう二度と放すことがないように、離れないように、ずっと、ずっと両手で握っていた。

 

そして今は個室に運ばれて、

 ベッドの上でこんこんと眠るあゆむの脇の椅子で、

今もひなたはあゆむの手を握り続けている。

 

「――あゆむちゃん……」

今はすっかり汗の引いた額にかかった髪を優しくのけて、

 ひなたは顔を覗き込んだ。

 

その表情は穏やかで、顔色もいつもに戻っているけれど、

 はたしてあゆむの自分に対する気持ちはどうだろうか――?

 

夕日が差し込んで赤く染まった病室。

 涙を拭いて立ち上がったひなたは、窓にカーテンを引いてまた椅子に腰をおろした。

 

「――あゆむちゃん、覚えてるかな?

 私たちが初めて会った時のこと」

握った手をさすりながら、

「あれは、九月の連休前の土曜日だったよね。

 遠くからはるばる学校見学にやって来たけど、

 中まで入る勇気がなくって校門の前をうろうろしてた私に

 ――って、今考えると、まるっきり不審者だよね」

と、クスクス笑ったひなた。

 

「そんな私に、 

 『あれ、ひょっとして学校見学? 実はわたしもそうなんだぁ♪』

 って、この手で肩を叩いて、笑いかけてくれたんだよね?」

両手で挟むようにしたあゆむの手の指を、

 一本一本愛おしそうにさすりながら、

「それでふたりであちこち見て回って、とっても楽しかったよね?」

グスっと鼻をすすって、

「――私、嬉しかったんだ……。

 だってね、あの時、あゆむちゃんと一緒に勉強したい、って

 この学校に入りたい理由が一つ増えたんだもん。

 ほんとに……ほんとに嬉しかったんだよ?

 ――そっか。あれがあゆむちゃんが初めて私の背中を押してくれた時だね」

ふふっ、と笑うひなた。

 

「――その後に初めて行ったんだよね、馬車道に」

椅子をベッドに近づけて、あゆむの顔を覗き込んで、

「私の地元にはない、って話したら、

 あゆむちゃんが連れてってくれたんだよね。

 店に入ったら、私、ビックリしちゃった!

 だって、ウェイトレスさんの着ている制服が、とっても可愛かったんだもん♪

 その時にね。いつかここの制服着てみたいなぁ、って思ったんだ♪   

 もしかしたら、馬車道の制服も、学校に入りたい理由の一つになったかも!

 ――あ、あゆむちゃん?

 もしかして、私のそんな気持ち、わかっちゃってたのかなぁ?

 えへへッ、恥ずかしいなぁ♪」

顔を赤くして頭をかいたひなたは指をたてて、

 

「でもね、お料理も美味しかったんだよ!

 だから私、『美味しい、おいしいっ!』っていっぱい食べちゃって♪

 それで、私がまだデザート食べたい、っていったら、

 あゆむちゃん、眼をまん丸くして、『まだ食べるのォ!?』って呆れちゃって♪」

くすっと笑って口元に軽く握った手を当てて

「――それで、お腹いっぱいでげっぷしながら、あゆむちゃんもデザート頼んで。

 無理して頼んだもんだから、結局食べきらなくて♪

 口の中いっぱいにしたまま、

 『ん! ん!!』って、お皿を私のほうに押しやってたよね♪」

その時のあゆむの顔真似して、

 おかしくてたまらないといった風に笑い出すひなた。

 

「――あゆむちゃん。あの時、デザートって何食べたんだっけ?

 とっても嬉しくて、楽しかったことなのに……私、忘れちゃった……。

 えへッ、なんだったっけなぁ……。

 なんだったか、忘れちゃったなぁ……えへへへッ♪」

笑いながら、だんだんとうなだれていって、

「……あんなに嬉しかったのに……。

 楽しかったことなのに、すっかり忘れちゃうなんて……。

 えへへッ、馬鹿だよね、私……」

握ったあゆむの手に、額をつけて、

「――ほんと……馬鹿だ、私……。

 大好きなあゆむちゃんとケンカするなんて……」

閉じたひなたの目から涙が溢れだした。

 

「……あゆむちゃん。

 私のこと、許さなくてもいいから……。

 嫌いになったままでもいいから……。

 ほんの少しだけ…私のこと覚えていてくれると、嬉しい…な……」

あゆむの手を握ったまま、ベッドに倒れ込むようにして眠りに落ちたひなただった。

 

 

~⑩に続く~