~プロローグ~
 
 
――ちょっと怖い感じで、苦手だなぁ……。
 
彼女と初めて会った時の印象は、
ちょっと派手で、目つきが悪くて、
なんだか怖そうな、話しかけづらい人だった。
 
金髪に近い明るい茶髪に釣り眼、
ズケズケとした物言い、時々みせる鋭い視線に
なんとなく苦手意識を感じていて――。
 
 
 
――へぇ~っ。
  案外、ミーハーなんだね。この子は。
 
そんな彼女からは、見た目は普通っぽいのに
アルバイト初日の自己紹介の時、
この店~馬車道で働こうとした動機が
『制服が可愛いから♪』
 
それが、ちょっとおかしくて――。
 
 
 
 
~1~
 
 
彼女~日向ひなたの馬車道でのアルバイト初日――。
 
「お、お、お客様…。
 い、い、いらっしゃいませ……」
それだけでも言うのが、やっと。
 
「ご、ご注文は…い、いかがいたしましょうか…?」
ここまで言えれば
彼女的には上出来なほうだが、
店員としては当然不出来なわけで――。
 
 
「――駄目だなぁ、私…」
初めてのアルバイト経験、
しかもお客さんと話すのが恥ずかしくて×2……。
 
ごにょごにょと小声で
しかもしどろもどろの応対しかできず、
オーダーは間違える、料理はこぼす、etcetcで、
初めて半日もたたないうちに
ひなたはずずーんと深く落ち込んでいたりして。
 
「はぁ……」
ひなたは壁に手をついて、ため息をもらした。
「もっとしっかりしなきゃ…。
 それは分かってるんだけど」
 
そんな暗く沈んでいたひなたのお尻を、突然――。
 
むにっ。
 
と、誰かがつかんだ。
 
「きゃぁ~ッ!?」
ひなたは大声で悲鳴をあげた。
 
「な、なにするんですかッ!?」
両手でお尻を押さえながら、
驚きと怒りと羞恥で真っ赤になってふり返ると、
 
「なんだい、大きな声だせるじゃないか」
そこには、ひなたのお尻を触った
――訂正、つかんだ格好そのままで、
先輩バイトの女性がしゃがんでいた。
 
名前はたしか――。
 
「こ、近藤さん!
 いきなり何するんですかッ!?」
顔を真っ赤にして喰ってかかるひなたに、
立ち上がった彼女~近藤早(こんどう さき)
落ち着いた声で言った。
 
「――どっちが恥ずかしかったかい?」
「――え?」
「尻さわられるのと、お客様の相手するのが、さ」
やったことはセクハラなくせに、
腰に手をあて真面目な顔で
ひなたの顔を見つめる彼女・早。
 
 
「は、い…? え…っ!?」
質問の意味をつかみかねて、
呆気にとられたように立ち尽くすひなたに、
 
「恥ずかしいのはあんただけじゃないんだよ」
そう言って、彼女はニッと笑って、
「驚かして悪かったね。しっかりやんなよ!」
去り際に、こんどはひなたのお尻を、ぱん、と叩いた。
 
「きゃっ!」
「そう。その声だよ、その声。
 忘れんじゃないよ――っと」
手を振って笑いながら、
新しいお客さんの応対へと向かう彼女。
 
「いらっしゃいませ。
 三名様ですか? それではこちらへどうぞ」
 
「もうッ! 信じらんないッ!」
プンプンむくれながら、
それでもひなたは彼女の接客の様子を見つめている。
 
「お客さま、こちらのメニュ、
 ただ今、大変おススメになっておりまして――」
明るく元気に楽しそうな笑顔で
お客様に接する彼女の姿に、
嫉妬とともに、ああになりたいな、と
あこがれも覚えるひなただった。
 
 
 
 
~2~
 
 
それでもどうにかこうにか、
アルバイト初日が終わって――。
 
 
とことことこ。
てちてちてち。
 
 
とことことこ。
てちてちてち。
 
ぴたっ。
 
学校の寮へ帰る途中のひなたの足が止まって、
「なんで私の後を
 つけてくるんですかッ!?」
肩を怒らせて、後ろを振り返った。
 
そこにはなぜか、店を出てからずっと、
ひなたの後ろを歩いてくる彼女~近藤早の姿が。
 
「なんでって言われてもさ。
 あたしんちも、こっちだからだよ」
そう言って指差す先は、
たしかにひなたの帰る学校の寮と同じ方向だ。
 
「も、もうッ!
 と、とにかく、ついて来ないでくださいッ!」
そう言って、またズンズン歩き出すひなたの後ろで、
「だから無理だって。
 家がそっちなんだからさ」
クスクス笑いながら
また後をついて歩き出す彼女の気配を感じて、
ひなたは真っ赤になって
頬をふくらませながら、足を速めた。
 
 
 
「――あ~、つかれたぁ……」
そうつぶやいてひなたは、
学生寮の自分の部屋のベッドの上に
ぼふっ、と身体を投げ出した。
そのまま枕に顔をうずめて、ふ~とため息をつく。
 
むかむか。
 
いきなりお尻をつかまれた時のことを思い出して、
ひなたの眉がぎゅっと寄った。
 
「アザになってないよね……?」
その恰好のままふり返って、自分のお尻をなでてみる。
 

 

『尻さわられるのと、
お客様の相手するの、
 どっちが恥ずかしかったかい?』

 

 

 

 
むかむかむか。
 
あの時言われた言葉が、彼女の顔と一緒に浮かんでくる。
 
「あ~~、もうッ!
 なんなのよ、あの人ッ!!」
悔しくて恥ずかしくて、枕をぼふぼふ叩いた。
 
『恥ずかしいのは
あんただけ
 じゃないんだよ?』

 

 

 
 
「……どういう、意味なんだろ?」
枕をたたく手を止めて、
言葉の意味を真剣に考えてみたが、
かえって今日の失敗ばかり思い出してしまい、
かえって神経を逆なでするだけだった。
 
むかむかむかむか。
 
「あ~~、もうッ!」
ばふっ! と、枕に両のこぶしを叩きつけて、

「お風呂入ってこよッ!!」

ひなたは勢いよく立ち上がった。

 
 
 
ちゃぽん。

 

『恥ずかしいのは

あんただけ
 じゃないんだよ?』

 

 

 

 
「――近藤さんの言葉、
 本当はどういう意味なんだろうな……?」
鼻まで湯船に浸かりながらも、
その言葉がずっと頭から離れないひなただった。
 
 
 
 
~3~
 
「お先に失礼しまぁす……」
なんとか二日目のバイトを終えたひなただったが、
今日もさんざんな一日だった。
 
何をしたのか思い出すのも嫌になるくらい失敗の連続で、
「はぁ~~~」
店を出たとたん、
がっくり肩を落としたひなたの口から
深いため息が洩れた。
 
 
 
ぴゅう~~。
 
店の外は自分の心と同じに
すっかり暗くなってしまって、
桜も咲き始めたというのに、
吹く風もいつもより冷たく感じてしまう。
 
鼻までマフラーに埋めて、
とぼとぼと足取り重く帰る途中、
いつものコンビニに寄って肉まんを買ったひなたの足は、
自然と近くのお気に入りの公園へと向かっていた。
 
鼻をくすぐる大好きな肉まんの香りに
いつもなら我慢できずに
途中でつまみ食いする元気もなくて、
一人風に吹かれるままぶらりと公園に入ると、
お気に入りのベンチにぽつんと一人腰かけたひなたの姿を、
いつもの太陽の代わりの街灯が
なんだかぼんやり照らしている。
 
 
もぐもぐ……。
 
大好きなはずの肉まんが、
今日はあまりおいしく感じられない。
それどころか、いつもよりなんだかしょっぱくて――。
 
「ぐすっ……」
うつむいて、涙をぬぐうひなたに、
「――だいじょうぶかい?」
と、誰かが遠慮がちに声をかけた。
 
「!?」
ハッ、と顔をあげたひなたの前、
灯りが照らす輪の中に立っていたのは、
今日の失敗の間接的かつ遠因
――いや、原因と断定して問題ない、
昨日、自分のお尻を触った
――もとい、つかんだ張本人の近藤早だった。
 
「近藤さんッ!?」

今日もアルバイトには来ていたけれど、

昨日と違って自分にちょっかいを出すこともなくて、
なんだか遠くから見ているだけだったような気がする――。
 
「となり、いいかい?」
ひなたの寄ったコンビニのカップコーヒーを軽く掲げて、
悪戯っぽく笑いながら話しかけてくる彼女。
 
「こ、公園の、
 誰のものでもないベンチですからねッ!
 どうぞ近藤さんのご自由にッ!」
あわてて目じりをぬぐうと、
ひなたはぶすっとむくれてそっぽを向きながらも、
ちょっとだけ座る位置をずらした。
 
「どっこいしょ、っと」
年寄り臭い台詞ととも隣りに腰を下ろすと、
カップに口をつけながら、
ひなたの横顔を見る彼女~近藤早。
 
その視線に気づきながら、
もう一度目じりをぬぐったひなたは
肉まんを食べることに集中したフリをする。
 
もきゅもきゅもきゅ。
 
じーっとその横顔を見つめていた彼女が、突然、
「あはははっ」
声を出して笑い始めた。
 
「……ッ!」
かぁっ、とひなたの頭に血がのぼる。
「近藤さんッ、
 なに人の顔見て
 笑ってるんですかッ!?」
 
「いや、ゴメンゴメン」
案外、素直に謝って、
「あんた、さ」
 
「『あんた』じゃありませんッ!」
ぶすっとむくれてそっぽを向いて、
「私には『日向ひなた』って
 ちゃんとした名前があるんですッ!」
膨らんだ自分のほっぺのような肉まんを、
もきゅもきゅほおばるひなた。
 
「そうか、そうだね。
 ――じゃ、ひなたは、さ」
『ひなた』と初めて名前で呼ばれて、
ひなたは一瞬ドキッとした。
「制服が可愛いから、
 あそこでバイト始めたんだったね」
 
「そ、それが、悪いんですかッ!?」
もぐもぐ。
「いんや、悪かぁないさ」
そう言って、なぜか嬉しそうに微笑む彼女。
 
「…………」
はたして自分のことをからかっているのか、
彼女がいったい何がしたいのか、
全然わからないひなたは無視を決め込むことにした。
 
とにかく、手の中の
ほかほかふわふわ肉まんを、
冷めて硬くなる前に食べるのが
今の自分の最優先かつ最重要任務だ!
 
 
もきゅもきゅもきゅ。
 
ぴゅるる~~。

 

ずずっ。

 
無言で肉まんを食べ、コーヒーを飲むふたりの間を、
顔色をうかがうように巻いた北風が通り抜ける。
 
もきゅもきゅ、ごくん。
 
とりあえず、
冷める前に肉まんを食べ終えるという
任務は無事終了したのだが――。
 
 
「…………?」
無視する、とはいっても
やはり隣の彼女が気になって
ひなたは横目でそーっと様子をうかがったが、
特にこちらを気にするでもなく、
ごく自然な表情ですっかり暗くなった空を見上げ、
時々手にしたカップに口をつけている。
 
「…………!」
なんだか自分で作った沈黙が気まずいひなたは
恥かしかったけれど
思い切って自分から話しかけてみた。
 
「――こ、近藤さん!」
「ああん、どうした?」
すぐに返事が返ってきたのは、
今にして考えれば
自分が話しかけてくるのを待っていたんじゃないか、と思う。
 
「――昨日の言葉…なんですけど」
 
お尻を触られ――もとい、
掴まれた後に彼女に言われた言葉、
『恥ずかしいのはあんただけじゃないんだよ』
その意味がひなたには今もわからなくって――。
 
「あれって、どういう意味なんですか……?」
「ああ、あれかい」
あれで意味が伝わってくれて、
コーヒーを一口飲んでから、
「ひなたはさ」
と、前を向いたまま話を続ける彼女。
 
「今まで、アルバイトってしたことなかったんだろ?」
「はい……」
彼女の問いに、ひなたは素直にうなずいた。
 
「だから、お客さんに話しかけたり、
 話しかけられるのが恥ずかしい、
 ってのは、ま、あたしもよくわかるつもりさ」
また、カップに口をつける彼女。
 
「――でもさ」
とん、とカップを脇に置いて、ひなたのほうに向きなおると、
「恥ずかしいのはあんただけじゃない、
 お客さんも恥ずかしいんだよ。
 お互い、初対面なんだから
 声をかけるのが恥ずかしくて当たりまえさ」
ずいっとにじり寄って、
 
「それでもあんたが『店員』だから、
 恥ずかしくてもお客さんは
 料理を『注文』をするために話しかけてくれるんだ。
 それに答えるのが、
 『店員』としてのあんたの仕事だよ。
 あんたも、相手が『お客さん』だから
 恥ずかしくても話しかけるんだろ?
 たとえ初対面で恥ずかしくても、
 それが『仕事』なんだからさ」
鋭い目をして、彼女はひなたの眼をじっと見つめた。
 
「もし自分だけ恥ずかしいと思ってんなら、
 あんた辞めたほうがいいよ?」
 
 
~後篇に続く~