私は中学、高校のクラブで柔道をやっていたので、オリンピックの柔道も関心を持って見ていた。

 

深夜に団体戦決勝を見ていたのであるが、フランスの思うとおりになって、やっぱりという感がする。

 

鈴木監督の狙いとしては、斎藤選手は捨て駒にして、他の選手が頑張れば何とかいけるかも、ということだったのだろう。

予想通り、村尾選手が勝ち、そして高山選手が勝った。高山選手の勝ちは期待以上である。斎藤ーリネール戦は、予定通り斎藤負け。次の角田選手は必殺の巴投げで勝った。これは期待通りというところである。そして、阿部一二三選手で決めたいというのが日本の思惑であった。

 

日本の最悪のパターンは、3-3で代表戦になり、代表戦が90kg超級のクラスになることで、実際にそのようになった。

みんなも思ったように、代表戦になるとフランスの勝ちが確実な90kg超級が選ばれるような気がしていた。

なので、阿部選手の負けで日本の敗退が決まったような気がした。

 

阿部選手の試合は、死闘という言葉がふさわしく、すごい試合だった。消極的な相手に指導を取らない審判に批判があったりするが、この団体決勝戦はなるべく指導で勝敗を決しない方向だったと言える。

なので、試合として見れば、面白い柔道が見れたことに感謝したい。

 

代表戦の斎藤ーリネール戦も、斎藤がしばしばかけ逃げに近い技を繰り返していたが、3つめの指導は取らなかった。審判のジャッジも比較的偏りがなかったように思う。

 

ルーレットの階級選びは、コンピューターで決めるが不透明性が残った。まあ、操作したんでしょうな。

 

私の中学、高校の大会でも団体戦があった。この時に、体重別のクラス分けはしない。そもそも、クラス分けしてその体重の人がいる保障はない。当時から柔道部はそれほど人気はなく、選手5人そろえること自体が難しい。

 

団体戦は、先鋒から大将戦まで、全て無差別級である。(確か、先鋒、次鋒、中堅、副将、大将で、別に体重順とか強い順ではない)

5人で引き分けになった場合は、代表戦を行う。その時は、一番強い者がでる。これは当然である。

 

従って、オリンピックでも、クラスを選ばずに、各国の代表者が出れば良かったのである。(男女の別は必要だろうが)

日本は、斎藤より村尾が出た方が面白かったかもしれない。

 

斎藤が学ぶのは、自分の弱さであり、技の切れのなさである。体重差だけで相手を潰すという柔道をしてきたので、体格差のない相手にはかなわない。リネールには100%勝てそうになかった。

 

 

やったことのない人には分からないだろうが、柔道の団体戦は、結構気合いが入る。

個人の戦いではあるが、チームや学校の名前を背負って戦う、というのは気が張るのである。最初から団体競技の球技や、体操のようなポイント競技とは違った雰囲気がある。

何のために戦うのか、努力するのか、についてのモチベネーションが団体戦にある。

 

 

ところで、柔道の国際化は、勝負と試合の面白さを両立させるためのルール改正の歴史でもある。

もう覚えている人も少ないだろうが、昔は大半の時間を組み手争いに費やしていた。諸手刈りのような足取りも禁止された。有効や効果といったポイントもなくなり、ちょこまかするポイント稼ぎもなくなった。

私が柔道を始めた時は、技ありと一本しかなかったので、技は元に戻ったとも言える。

 

なので、今の柔道のルールは前より格段に良くなったと思う。

それでも、組み手争いは多い。あれだけは、うっとうしいので禁止にしてほしいとは思う。

 

柔道は礼に始まり礼に終わる。試合が終わった後は、勝ち負けにこだわらないのが「道」である。人生はそこで終わりではないのだから。

阿部詩選手は、金メダル以上のことを学んだだろうと思う。

 

追記:と書いたけど、初段の私が上から目線で言うことじゃなかったです、済みません。でも、柔道からは、苦しさ、楽しさ、連帯感など多くのことを学びました。